2017年7月15日(土) ◆フレイムハウスが盗賊団に占拠された日

こんばんは、阿守です。


今日も我らが北浜のアヘン窟こと画廊喫茶フレイムハウスへお越しいただきありがとうございました。とにかく毎日なにかあるカフェなので、毎晩のように祭りのあとの寂しさを感じながら電車で帰るという具合です。これ、リア充のアピールでは決してないですからね、そういう勘違いをする奴はこのブログを最初から読んでいない証拠です。


今日も朝から北浜のオフィスへ顔を出して、仕事に集中するでもなく右を向いたり左を向いたりしながら、窓越しに日傘をさして早足に歩くOLをみて、鼻の下をのばしていました。


昼からは7月21日にあるイベント【新進気鋭の小説家 平尾正和は語る】の予約受付があったので、その対応にてんてこ舞いでした。たかだか20席をさばくのに、これだけアタフタして過呼吸になるとは思いませんでした。予約を受けながらブログも並行して書いていたので、ブログのほうはよくわからないテンションになっています。


そして平尾さんの人気にかげりが見えてきた頃合いを見計らって、デザイナーさんにオフィスまで迎えに来ていただき、昼食と打ち合わせがてら画廊喫茶フレイムハウスへ向かいました。北浜は12時ともなると、会社というドル箱から弾き出された老若男女が、ランチを求めてレストランなどの飲食店は満席、そこかしこで臨時に開かれる弁当屋は大阪城ホールに陣取るダフ屋のように居並び、コンビニは冷戦中のモスクワの配給を待つ人たちのように長蛇の列をなします。


なので僕は敢えてその時間は避けるようにして昼食をとるようにしています。密集隊形を取るのは敵からの攻撃を一点に集中砲火とされる絶好の機会を与えてしまうので、その陣形を採択するに、まず、圧倒的に戦略上の数的優位を築いておくという前提がない以上は、実践的解決を導けない戦術だからです。


戦略と戦術は別のものですが、それらは蜘蛛の糸のように一本、一本のすべてに因果関係があるのです。


アカンわ、完全に酔っぱらってるわ。自分で何をいうて、どんなシチュエーションをイメージしとるんか、ようわからん。


さて、昼すぎにフレイムハウスへ顔を出すと、万作さんがひとりでテーブルの上にトランプを並べてソリティアをしていました。僕は生まれてこのかた、はじめてネットゲーム以外で、ソリティアをしている人を見ました。「ワシ、これ、日課なんですわ」とのこと。いつも精励していただきご苦労様です。


デザイナーさんとオムライスをいただき、そのまま一旦外出して、18時にお店へ戻ってきました。


すると僕の以前の会社の同僚が店へ来てくれて、そのままどこまでも続くような映画談義となります。2時間くらいの長さの映画の内容を、昼夜24時間ほどかけて熱く語り続けてくれる男で、常々、彼の存在は僕のしたいことにおけるキーパーソン的な役割を担っています。


ただ、僕自身にしたいことがないので、今のところは無用の長物です。いつでも有事の際、使えるように刀は研いでおくものだ。といいながら、時代錯誤だったうちの父親は刀の手入れをしていましたが、そういうものでしょうか。


時間は流れて、何人かのお客さんも入れ替わり、やっぱり最後まで残ったのはいつもの常連客たち。話しの内容はとりとめもない「クジラ肉の正当性について」であったり、「クジラ肉の正当性以外について」であったり・・・。


そんなこんなで、ふと気がつくと、万作さんが店からいなくなっている。


ほぼ、全員のグラスが空になっているので、常連客たちは今にもフランス革命前夜の民衆決起のごとく騒ぎ出す。どうやら聞くところによると版画家の柿坂万作は、ワインと日本酒と氷とソーダが切れたので買い出しに行ったとのこと。


常連客の女がフレイムハウス二階の窓をサッと開ける。眼下には不格好な姿でキーキーと音がする自転車をこいで闇夜の奈落へ消えていく、万作さんの後姿が見てとれる。


「諸君、今、この店は管理者が不在である。そして我々のグラスには酒がない。このようなことが許されていいものだろうか」


誰ともなくそのような演説が打たれる。万感の拍手、周囲から激励のシュプレヒコールが上がる。まるで詩人のランボーとヴェルレーヌのいた陶酔の時代の一幕をみているような感動がそこにはあった。


「万作のいない酒場は不幸であるが、万作を必要とする酒場はさらに不幸ではなかろうか!」・・・もう、意味がわからない。


常連客の女が対面に座っていた同じく常連客の男に指示をだす、「あなたは斥候(せっこう)だ、この窓からスナイピングして万作が帰還の様相を呈したら、すぐに知らせよ」。


「はっ!」


違う女が冷蔵庫から瓶ビールを発見する。「閣下、一番搾りを見つけました」。


一同の視線がスタイルのよい瓶ビールに注がれる。これより、開栓の儀を執り行う。一同から拍手喝采が飛び交う。


ところが栓抜きがない。むむむ、万作、どこへ栓抜きを隠した。


そこから客全員が厨房付近に集合し、全員で栓抜きを探しだす、あれでもないこれでもない、ペンチでやってみてはどうか、ダメです、力点・支点・作用点の動作がビールの開栓には完全に不向きです。ライターはどうか、心斎橋の「じねん」という寿司屋の丁稚は器用にこれで開けるぞ。ダメです。


あった!女が叫んだ。


真っ黒い栓抜きのようなものが、厨房の壁にかかってあるのを見つけた。一同がビール瓶の周囲に集まり、歓喜の泡が噴き出すのを待ちわびる。なんだか使いにくいが、そこは勢いで押し切り、見事にビールという王から王冠が外されたときだ!


ガチャ。


なんと、万作が帰還していた。


常連客の女がいう「斥候!何をしていた」、「すいません、一緒になって栓抜きを探していました」。


きょとんとしていた万作さんが口を開く。


そう、次に発言権があるのは万作さんであることは皆が理解していた。


「・・・それ、栓抜きやのうて、鉄鍋の持ち手やで」


なんだ、そうだったのか!


しかし、開いてしまったものは仕方がない。こうなってしまっては皆で飲むしかないと、全員のグラスに戦利品である一番搾りが注がれて、そして一堂での乾杯となった。


たいして言葉も交わしていなかった客同士が、ひとつの目的に向けて一致団結する様は、なるほど来世では悪党になるのも良いのではないかと感じたくらいだった。


そして始まるのが、一昨日に続いての木箱へ顔を突っ込んでの「ABCラジオ、フレッシュアップナイター」。


もう何度も何度も同じことをしているのに、腹がよじれる。


これ、面白いから笑っているのじゃなく、笑いたいから笑っているという境地だ。


一昨夜は76才のご老人が来られて、この木箱をかぶりたいといいだす。常連さんが「それをかぶると、これまで言えなかったことが言えますよ」と適当なことをご老人にすすめる。


するとご老人、すんなりと木箱を顔からかぶって、このように言う。


「私は今年で76才。女が・・・欲しい」


見事なまでの心の吐露に僕たちはすっかり感心して、拍手をご老人に送りました。やっぱり老いも若きも素直がいいなと。素直がない人間には愛くるしさは生まれない、愛くるしさを失った人間は、どんどん老いてしまうのだ。すると、どうしても自分の老いを包み隠そうとするため、気がつけばライザップなどへ通うようになるのである。


あんなものはポルノ以下だ。だが、もう少しだけ値段を下げてくれれば、僕も通って三島由紀夫のようになりたい。


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by amori-siberiana | 2017-07-15 01:57 | 雑記 | Comments(0)


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