2017年7月21日(金) ◆屍を乗り越えて、夏の日

こんばんは、フレイムハウスの阿守です。


今日も暑かった。いや、久しぶりだ、ここまで太陽に打ちのめされたのは。といっても僕なんかは外回りの勤務の人に比べれば、随分と贅沢をさせてもらっているのであろう。「贅沢しません、勝つまでは」という時代もあったそうだが、勝った負けたが国家間ではなく、個人間に向けられたとき、その勝敗を判定するのはどこの誰なのであろうか。そして勝った人だけが贅沢をするのは、とても卑しい行為なのではないかと考えながら、オフィスで仕事もせずにコーヒーを飲んでいた。


北浜は、にわかに建設ラッシュが続いており、タブレットを片手に颯爽と現場に出入りする女性建築士を見て、ここ北浜もその町を構成している部分部分のパーツは常に新しいものと入れ替わっているのだなと感じた。


明日から画廊喫茶フレイムハウスは夏の大祭、「万作祭」の期間に入る。


版画家で画家、類稀な料理人である柿坂万作は、これまでどのような人生を歩んできて、どういった経緯でここにいるのだろうか。僕はそのほとんどを知らない。売れない芸術家という、文芸作家から好まれそうな題材をすべて持ち抱えた人だ。いつの時代にもいる人かも知れないし、もう現れない人なのかも知れない。


今日、開店前のお店で万作さんと二人きりだったときの話しをしよう。


数日前、せっかくイベント盛り沢山にしたのだから、ご来場者のいちげんさんたちに粗品を渡したらどうかということを万作さんに話した。万作さんは面倒くさがった。だから、本人に有無をいわさないところで、僕は勝手に無地の質の悪い扇子を100本ほど取り寄せた。


「万作さん、これに何か描いてくれませんか。それをお客さんたちに持って帰ってもらいたいんです」


「う~ん・・・、ワシ、そういうんは苦手ですわ」


「別にアクションペインティングのようなサーカス芸をしろってわけじゃないんです。なんでもいいんです、サインだけでもいいし、それすら面倒なら、万作さんが版画で使ってるような押印だけでもいいんです」


「・・・まあ、なんか考えときまっさ」


そういうやり取りがあった。そのまま数日は扇子は段ボールの中に入ったまま、誰がどうするでもなくステージ脇のコンガの横に放置されていた。僕はそれ以上、何かを言う気にはなれなかった。それは諦めたのではなくて、自分も芸術に携わる人間だったからの、言葉の追い打ちの無意味さを知っていたからだ。


そして今日、僕が開店前の店に入ると、いつもの僕の席に万作さんが座っていて、何かを描いている。万作さんの目の前のテーブルには幾つかの扇子が散らばっていた。
ああ、扇子に何か描いてくれてるんだ、間に合ってよかったと僕は内心、ホッとした。


何を描いてるのか僕の位置からはよく見えなかったが、万作さんが開口一番にこういう「ワシ、やっぱり無理ですわ、下手くそや」と。そして今、自分が描いたであろう扇子の絵を見せてくれた。


僕は扇子をのぞき込んで、驚いた。雷が落ちた。


そこには一匹のセミが描かれていた。


都会では珍しいアブラゼミの死骸を万作さんがどこかから見つけてきて、それをモチーフに描いていた。


万作さんの描くセミのもつ情緒や風情は、今は亡骸となり被写体となっているセミがしたであろう恋を感じさせるものであった。そして自分が私財を投げうってフレイムハウスに投資をしたことが、良かったことなのだと直感した。自分でも訳のわからない行動をしているなと、自分のことを何夜責めて眠れなかったことだろうか。


そういった自分への釈然としない思いが、扇子に描かれた、セミ一匹で無くなった。


こんなセミを100枚も描けるわけがなかろうと僕は考えるのだが、万作さんは描いている。コツコツと丁寧に描いている。粗品の安物の扇子にこれだけ時間をかけて、自分の芸術を惜しみなく注ぎ込む万作さんを見て、僕は万作さんが面倒くさがった理由がわかった。


「          」


そう、大切なものは目に見えないようにできてるものだ。


この粗品は万作さんの印も押されており、画廊喫茶フレイムハウスからの「これから、よろしくお願いします」の気持ちが込められているものだろうと思う。


万作さんは隣で必死に描く、僕は明日のためにギターの練習をする。僕の父親も売れない画家だった、画家がどのような魔術を使って、紙に絵筆を走らせ、命を宿らせていくのか僕にはよくわからない。それは今も昔も変わらない。


ただ、遠い記憶・・・、こうして父が絵を描いている横で僕はギターの練習をしていた日のことを、なんとなく思い出した。もしかしたらそんな日はなかったのかも知れない、脳というやつは都合のいい過去を作り出すものなので、僕はあまり信用していない。


けれど、久しぶりに亡き父の面影を見たのだ。それは過去ではなくて、「今」、確かにそう感じた。一泡のノスタルジーかも知れないが、ほんの一瞬。


ほんの束の間。


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by amori-siberiana | 2017-07-21 00:48 | 雑記 | Comments(0)


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