2017年8月29日(火) ◆ミサイルが撃たれた日

こんにちは、堺筋という大きな通りに面した北浜。そこにある猫のひたいのような小さな店、画廊喫茶フレイムハウスにて暇つぶしをしている阿守です。


今朝、北朝鮮がミサイルを発射した。そのミサイルは北海道を飛び越えて、東の海上に落ちたそうだ。朝から物騒なアラートによって叩き起こされた人も迷惑千万であろうが、都市部を中心に交通インフラのマヒであったり、ミサイルという逃げ場のない攻撃にさらされたとき、逃げ場がなくなる恐怖感であったり、商売における打撃であったりは、生きていくうえでとんでもないストレスになる。その疲労感たるや相当なものだ。


それが慢性的に継続していくことは、耐えがたい苦痛であり、勘弁していただきたいものである。


人間はストレスに慣れることはない。ストレスに慣れることが人を幸福にすることがないことを本能で知っているからだ。人はストレスを感じることで、それを絶対的に駆逐駆除しようとするものだ。なぜなら、理由はシンプルで、落ち着かないからだ。


個人の意志ではなく大衆が共通したストレスを持ち抱え、それが結集して暴発したとき、なにが起きるのか。これまでの歴史を振り返ってなにが起きてきたのかは明々白々。


ミサイルに怯えさせられることになるのはいつも一般人である。北朝鮮という腹芸を得意とする大根役者の後ろで、操り糸を垂れているのは誰なのか、みんなで探り出したいものである。ミサイルは打ち上げ花火の大会ではない、みんなを楽しませるものではない。


ただ、どちらにもスポンサーがいるということだ。


顧客の消費を促すのにもってこいなのは、「脅威」であったり「共通の敵(公共の敵)」の存在である。躊躇する大衆の連帯を派生させるのにもってこいなのも、「脅威」であったり「共通の敵(公共の敵)」の存在である。


そして、いつも災難に遭い、巻き込まれるのは一般人なのだ。


火薬に火がつかないことを祈るばかりである。文明とはなにか?、それは剣ではなくペンによる解決を見出すことではなかったか。


さて、昨日も朝から北浜のオフィスへ顔を出し、午後から画廊喫茶フレイムハウスに向かいました。北浜のご近所さんが主催される映画会が15時からあったのだが、諸事情により出席できず非常に悔しい思いをするが、是非もなし。


店に行くと版画家の柿坂万作さんが何やら言いにくそうに口を開く。これまでに何度もあったシチュエーションである。大体、この口調でスタートしたときは金の無心であることが多い。ちなみに後で気がついたのだが、今日の万作さんはDIESELのジーンズを履いていた。どうでもいいことだが。


「ああ、これは阿守さんには、お伝えしといたほうがええと思うことがあるんですけど…」


「どうぞ、何か言いにくいことでもあるんですか」


「実は隣の姉さんが来て、ちょっと三人で話しをしたい言われたんですわ」


万作さんのいう隣の姉さんとは、画廊喫茶フレイムハウスの隣にあるサロン喫茶フレイムハウスのオーナーさんのことである。一度、酒などの仕入れを終えて北浜のオフィスへ戻る途中にお会いしたことがあり、挨拶が遅れた自身の不調法をお詫びさせていただいたことがある程度の接点しかない。


三人というのは、隣の姉さん、版画家の柿坂万作さん、そして僕のことであろう。


「三人でですか?何の要件でしょうか」


「うーん、なんやろ…、なんか姉さんなりにあるんちゃいますか」と万作さんはことばを濁す。


「せっかっくのお誘いなんですけれど、要件のわからないものに出席する時間は持ち合わせていないので、断っておいてくださいますか」


「えええ?なんて…断ったら、よろしいやろ…」


「阿守は忙しい。と」


「はぁ…」と万作さんは釈然としない相槌をうつ。阿守はそのままタバコに火をつけ、万作さんは厨房へ入ろうとするが、思い出したように版画家は振り返り阿守にこういう。


「もしかしたら、店の椅子を返せいうて、いわれるかも知れんのですわ…」


「この店の椅子というのはお隣さまからの借りものなのですか?」


「そうですねん、また、ワシが椅子を作ればええことなんやけれども…」


なるほど、今のこのタイミングにて椅子の返却を迫られるとは、お店としてはなかなか困難な状況になることは自明の理。


「つまり、その件での話し合いということなんでしょうか?」


「うーん、ワシにはなんともいえんのやけれども…」


なんとも歯切れの悪い版画家の返答である。


「他になにか言いにくいことで、これまで黙っていたこととかありますか?」と訊く。


「いやぁ、他には特になんもないなぁ。面倒なことは全部、阿守さんが引き受けてくれるもんやろうと思とったんやけどなぁ」と万作さんは卑屈な苦笑いを浮かべるが、それをシラフで言ってるのだとしたら、狂気の沙汰だ。


ハッキリと断言するが、版画家の身元引受人や連帯保証人になった覚えは一切ない。


そんなことを話しをしていると、締まりの悪いドアがガチャリと開く。


青山ビルにてギャラリーをしている女と、彼女のギャラリーでイベントを開催していた坊主頭の女がお客さまとしてご来店される。先日、お二方からは直接連絡をいただいており、月曜にフレイムハウスで食事をしたいのだが、ベジタリアン用の料理ができるものだろうかと相談をいただいていた。


その日のうちにシェフの万作さんにそのことを伝えると、「わかりました、引き受けましょ。なんなりとできると思いますわ」と心強い返事をいただけた。こういうときの万作さんは頼りがいがある。あとは腕相撲のときも。


少し前に来店されていたグラフィックデザイナーの女を含めて四人でいろいろなことを話す。人にはコンプレックスがあるが、そのコンプレックスが自分や他人にとってのメリットとなるような場所で活動することが良いと、ギャラリーの女はいう。まったくもって、同感である。


坊主頭の女は「彼女はいつもこういうためになる話しをしてくださるんです」という。


そんな二人の女はギャラリーでのイベント期間中、揃って近くのバレエ教室(アンチエイジング)に通っているとのこと。本格的にバレエを踊るのではなく、バーレッスンなどで屈伸をするだけでも、随分と運動になるのだとか。


彼女たちの話しは聞いていて面白い。屈託のない意見をとても上品におっしゃってくださるので、真摯で手厳しい意見だとしてもすんなりと聞き手の側に入ってくる。そして何より前に向いている、だから彼女のギャラリーは居心地のいい場所なのだ。


彼女たちが食べたのは、万作さん特製の「ベジタリアンのためのトマトとたまねぎのパスタ」。ふたつの皿に盛られた、若干多めのパスタはみるみるうちに二人の胃袋へと納められた。味見をしておけばよかったと後になって悔いた。


そこから常連の不思議な女とグラフィックデザイナーの男、ガルパンの男、エジソンがやって来る。


話しの主題はアミニズムからどのように仏教へと日本人の信教は変化していったのかを手始めとして、本来の日本語とはどういったものなのか、オーパーツとは何なのか、土偶は宇宙人ではないのか、コロンビアの黄金ジェットとは?という話しになっていく。


カウンターでは万作さんとエジソンが「流体力学」について話しをしている。これほど万作さんの無邪気で嬉しそうな顔を見たことはないというくらい、エジソンから語られることばに目を輝かせていた。


もちろん解決など出ない。解決を出すことはそんなに重要じゃない、まず問いかけることが重要なのであるとは、ソクラテスの哲学だったであろうか。


多分、ソクラテス自身も例にもれず酒飲みだったのではなかろうか。



- 友と敵とがなければならぬ。友は忠言を、敵は警告を与えてくれる -


アテナイのソクラテス

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by amori-siberiana | 2017-08-29 12:02 | 雑記 | Comments(0)


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