こんにちは、北浜にある猫のひたいのように小さな店。画廊喫茶フレイムハウスの阿守です。


最近の僕はシャレオツになり、ステッキなんかを持って北浜を徘徊しています。はい、「ぼ、ぼ、僕はバカだからおにぎりしか食べられないんだなぁ」ではなく、一昨日に店で行われたファイトクラブに参加した際、左大腿四頭筋を挫傷いたしました。でも、横断歩道を一回のターンで渡れないことなどを常日頃から経験することがないので、ご老人の気持ちがよくわかります。


いつしか自分も老人になるでしょう、老いとは考えようによっては惨めなものです。どれだけ慰めのことばを歴史上の偉人からとってきたとしても、それは根治療法にはならないのですから。僕は野心ある老人になりたいものです。3700才まで生きるつもりなので、まだまだ先になりますが…。


このブログをはじめて、一か月が過ぎました。おかげさまで、常に「ギャンブル」と「介護」のブログランキングでトップ5に入っているようになりましたが、一体どのような人たちが僕の駄文を読んでくださっているのか、なかなか興味深いものがあります。


どうぞ、引き続き、ひとりの男の人生における大博打をお楽しみください。


最近、日曜日のランチの時間にもお客さまが来てくださるようになり、とてもありがたいことです。昨日もいちげんさんの母娘、自己啓発セミナーに無理やり参加させられた不満顔の教師、見放題のとき星師匠と一緒に天井桟敷で観覧していた女がご来店してくださいました。


お客さまが帰られたあと、版画家で喫茶店の共同経営者である柿坂万作さんと経理をしました。


「あのー、これは阿守さんにいうとかないかんかな思うて、というかワシからのお願いがあるんですけど…」


「金ですね。要件を聞きましょう」


「ワシの自転車のカゴが壊れかけとるんで治したいんで、経費で出してくれんやろうか?」


「万作さんには給料をお渡ししていますけれど、自費で治さないのはどうしてなんですか」


「ワシ、店の仕入れ以外で自転車のカゴを使うないんで、これは店の経費で落としてええもんやと思うんです」


「あの、今回に限っては経費で出します。が、万作さんがどう思うかはご自由ですけれど。僕がこのお店に関わってからまだ一か月です。自転車のカゴはその一か月で極端に傷んだのではなく、ご自身の長年の使用による経年劣化が問題ではありませんか。とすれば、それまでに自転車を管理していた人が支払うべきだと僕は考えます」


「そういわれればそうですなぁ、ワシやなぁ」


店の経費というのは僕が神殿とか神棚にむかい、「万作より祈願があり候、天よ、我に経費を授けよ」と鐘を打ち鳴らして、かしこみかしこみ言ってれば天から降ってくるものだと思っているのだろうか。


なんとも「経費」というのは経済的に無責任な人にとって魔法の言葉に変わってしまうようだ。便利なものであるが、その便利さの根拠がどこにあるのか知らないと、ただの無節操になってしまうことを知っていただきたい。


そんなやりとりのあと、アイリッシュバンドのココペリーナのお二人が店にやって来られました。フィドルのさいとうさんと、ギターの山本さん。ホイッスルとバンジョーを弾く岩浅さんは私用が立て込んでおり本番前に合流するとのこと。


「いい空間ですね」とお二人から言っていただき、リハーサルが始まる。さっきまでの「経費」でクサクサしていた気持ちは驚くほどサッと消えた、抒情的な旋律と軽快なリズムを解き放ちたくて、フレイムハウスの窓を開け放った。経費の魔力よりも、音の魔力のほうが数段上なのだと知り、僕は嬉しくなった。


最近はお店でもココペリーナの音楽をよく流していて、耳になじんでいた。今、目の前でこの音楽を録音した人たち本人が演奏しているというのは、なんと奇跡的な高揚感をもたらすものであろうか。


本番前、無事に岩浅さんも来店され、沢山のお客さまにもきていただき、イベント自体も満員御礼の大盛況であった。万作さんもよく働いてくれた、お客さまからもいろいろな面において気遣いをいただけて、総帥は幸せであった。


ココペリーナの音楽は人生のようであった。


岩がゴロゴロしたところの雪解けの水、最初は小さい川。その小さな川に笹で作った舟を浮かべる、それがいくつもの支流をたどって、浮いては沈み、揺れてはひっくり返り。最後の最後には笹舟は海にでる。笹はいつしか塩によって傷み、海をあてどもなく漂う。


ただ、笹舟を運んだ水だけは、また雲となり山に戻って、川を流れ、海に出る。


アイリッシュ音楽特有のメロディーの反復、リズムチェンジ、曲の紡ぎ方、そして不器用なまでのユニゾン、その大胆で無骨な手法がより繊細さをひきたて、このメロディーを残そうとした先人の意志の強さを感じさせる。死ぬ間際の最期のひとこと。親から子へ最期にたった一言だけ残せるとしたら、どうするだろう。


そういったチャンスを言葉での表現に頼らず、一節のメロディーに込める人たちもいたのではないだろうか。


そんなことを考えながら、ココペリーナの演奏を聴いていた。


《一杯の紅茶のためなら、世界が滅びてもかまわない》


ドストエフスキーの書いたことばである。反体制派だということでシベリアに流刑されることになった彼、自分はもしかすると生きては戻れないかも知れない。そういった絶望的な不安のなか、流刑地へ行く途上、どこかの宿の主人の厚意によって飲むことができた温かい紅茶。


ドストエフスキーは紅茶を味わうことで、今までになかったほどの「生の実感」を得ることになった。


なによりの差し入れであっただろう。


ココペリーナの音楽は画廊喫茶フレイムハウスにとっても、同じであったことは確かだ。

ロシアの紅茶は小さいスプーンにジャムやはちみつなどを乗せ、それを舐めながら紅茶を飲むのが伝統だということを具体的に知ったのは、僕が大人になってからだ。


ココペリーナの皆さん、お疲れさまでした。また、近日中に演奏をお願いします。


ご来場のお客さま、ありがとうございました。誰か携帯電話(折りたたみ式のWHITE)を忘れていらっしゃいます。


演奏が終わったあと、北陸から亡命してきた男が僕にこういう。


「阿守さん、北浜自治州の件で自分にアイデアがあるのだ」と。


献策、ありがたく頂戴いたしました。


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by amori-siberiana | 2017-08-21 12:01 | 雑記 | Comments(0)


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