カテゴリ:雑記( 128 )

こんにちは、北浜にある猫のひたいのように小さな店。クントコロマンサ(旧名:画廊喫茶フレイムハウス)を版画家の柿坂万作さんと共同経営する、ヒゲの男こと阿守のブログです。


さて、昨日のこと。


ヒゲの男は店に行く。今日は夕方より次の日曜日に演奏をする古池のおじきが店にやってくるのだ。古池のおじきというのはギター弾きであり、巧妙なギターを弾く。ヒゲの男とは全然違うタイプのギタリストであり、この二人が合わさればどういった音楽になるのだろうと個人的な興味も尽きない。といっても、ここでスタンダードのジャズ演奏をしたのでは何も面白くもないし、さらにいえばヒゲの男はジャズが弾けない。


そこで浮かんだアイデアがある、ジャズ畑の古池のおじきにヒゲの知人であるギタリスト、真鍋という男の作曲したものを原曲を聴かせずに演奏してみたらどうかということだ。真鍋という男が作る曲は道筋がきちんとある、つまりはその道筋に沿って歩行すれば(走ってもいいのだが)、おのずとゴールに辿り着けるようになっているのだ。これがヒゲの男の曲ではそうはいかない、ヒゲの男は道筋を作っていない、ぽんとスポンジケーキだけ作って渡し、あとのデコレーションは自分自身でしてくれという勝手気ままなものだ。


日曜日には真鍋という男の曲だけでなく、ヒゲの男の曲も一緒にやってみる。どちらにしても原曲を知らない古池のおじきが、どのように対処するのかとても楽しみなイベントとなろう。


店の階段を昇ると、すでに古池のおじきがギターを傍らに置きビールをあおっている。ヒゲの男もギターを取り出して、こんな感じの曲があるのだと説明する。古池のおじきは、ヒゲの男がギターのどの部分(ポジション)を弾いているのかのぞきこむ。のぞきこむことで、この辺の音階を弾いているのかとギタリストならば判断材料になるのだが、あいにくとヒゲのギターは特殊な音列になっており、なんらの参考にならない。視覚的ヒントは一切ないのだ。


一般的なギターのチューニングは太いほうから、


E(ミ) A(ラ) D(レ) G(ソ) B(シ) E(ミ)


ところが、ヒゲの男が使うチューニングにいたっては、


E(ミ) C(ド) D(レ) G(ソ) A(ラ) B(シ)


このようになっている。6弦中で3つの音が違うのである。半分一緒なのだから四捨五入でなんとでもなるのではないかといわれる諸氏もおられるかも知れないが、そんなに簡単な問題ではないのだ。


互いのギターの音色を確認して、この日はヒゲの男の小品をちらりと合奏してみることで終わった。譜面も渡さずに口頭でああだこうだと説明するヒゲの男、こんな伝統芸能の教えのようなことに付き合ったくれた古池のおじきには感謝しかない。


二人の男がギターにいそしむ頃、万作は厨房からステージに移動して、納期が迫っている肖像画を描く仕事をしている。音と絵画は同時に仕事をしあっても共存でき、尚且つ互いを打ち消し合わないものだなと再認識する。聴覚から入ってくる情報と、視覚から入ってくる情報は一瞬にして脳に伝わり、そこでどのような像を結ぶのであろうか、それは人それぞれの経験や趣向が如実に反映されるのであろう。


しばらくすると、ハイタッチ冷泉がいちげんさんの二人を連れてやってくる。聞くところによると、この二人は学生時代の学友であり、互いにインターンで冷泉の会社に来てからの知遇になるとのこと。それがかれこれ数年前の話しになるそうだが、そのときから酒席での腹の殴り合いは変わっていないとのことをヒゲの男に教えてくれた。


二人のうちの一人、教育熱心な男としておこう。この男は一流企業に就職してすぐにやめ、自分で起業したのだ。扱う商材は教育。「今の日本の学校教育は社会の一般的な実用性からかけ離れてしまっている」と警鐘をならす。これについてはもっともなことだ、ヒゲの男はそれについてもろ手を挙げて同感である。役に立つと信じさせられて、ちっとも役に立たない教育にどれだけ人生の無駄な時間を費やしたものか。


ヒゲの男に関していえば、学校を辞してからやっと教育の意味がわかった。自分に丸っきり学がないことを都会に出て初めて自覚して恥じた。田舎では学がないということで恥じるより、学校を辞したということの世間体で恥じることのほうが大きかったので、それは前者とは比べものにならぬほど些細でどうでもいい問題だ。他者からの評価に甘んじて生きるより、自分で自分の非力を自覚することのほうが悲劇なのである。だから、とにかく勉強した。大人になって勉強した。


だからといって学校を辞めるがいいとはちっとも思わない、学びたいことを正確に持っている人間が惜しみなく学べる場所がもっとあって然るべきである。独学というものは費用は安く済むかも知れないが、危険な部分もある。独学で陥りやすいワナは、ある事象について自分にとって都合のいい考え方になってしまうことだ。ここの判断が甘くなると、結局、得られた知識は自己満足の悪臭を放つものになってしまう。


教育とは、よく噛むことだ。よく咀嚼すること、決してひけらかすことではない。その人間の内面へ無意識のうちに浸透して血肉となるものである。


教育熱心な男との話しをしながら、自分よりも干支がひとまわりほど違う人間とこうして教育について大いに語り合うことは嬉しさ以上に救われた気持ちにもなった。世の中がほんの少しだけ明るくなるような予感がする。ほんの線香花火ほどの明るさかも知れないが、線香花火ほど美しいものもない。オリンピックの聖火などは消えても別にどうでもいいのだが、こうした火はもっともっと広げて、託していきたいものである。


ヒゲの男が根城にする北浜には、適塾というものがある。福沢諭吉がよく学んだところとして有名なところだ。福沢翁ほど教育の重要さを説いて有名になった人もいないだろう。教育があるとないのでは雲泥の差があると、その必要性を十分に知らしめた。


今、ヒゲの男の財布には福沢諭吉は、いらっしゃらない。


いらっしゃらないのだ。


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by amori-siberiana | 2017-11-13 16:18 | 雑記 | Comments(0)

こんにちは、北浜にある猫のひたいのように小さな店。クントコロマンサ(旧名:画廊喫茶フレイムハウス)にて、人生についてやんごとなきことを考えているヒゲの男こと、阿守のブログです。


さて、昨日のこと。


ヒゲの男は北浜のオフィスでコーヒーを飲んでぼんやりしたあと、そのまま店に行く。今日は青山ビルにあるギャラリー「遊気Q」にて、カンテのコンサートがあるという。先だって遊気Qのオーナーである女から連絡があり、クントコロマンサに貸したままにしている残りの椅子を持ってきて、そのまま演奏を観ていかれるのがよろしかろうという。


そういえば、カンテなるものやフラメンコなるものを間近に見たことがないなと気がついたヒゲの男。ならばそれもよろしかろうと、店に行き椅子を持ってギャラリーへ行くことにしたのだ。店に行くと星師匠がいる、腹が減ったということで版画家の柿坂万作の作る、お好み焼きを食べることになる。


このお好み焼きが見事なもので、牛すじとこんにゃくが甘辛く味付けされてふんだんに入っており絶妙なアクセントとなる。お好み焼き全体については、中はふわふわで外はカリカリで香ばしく仕上がっており、文句のつけようがない。「うーん、キャベツをあまらせとったんで、それをなんとか使わんとと思うて作りましてん」とのこと。


さらに続いて「いつでも作れるんですけどね、なんでメニューにのせんかいうたら、一枚焼くんにごっつい時間かかりますねん」という。なるほど、確かに客が連れで来て、お好み焼きを複数枚ほど注文された日には、鉄板のないこの店では一枚一枚に時間がかかってしまい、客にも気を使わせてしまうことは想像に難くない。


お好み焼きを食べ終わったあと、ヒゲの男は三階のアトリエへ昇り、ある地域の歴史的に重要な文化財的な椅子を三脚ほど持っており、そのままギャラリーへと向かう。先日、他の椅子を返却に行った日は台風の最中だったので、曇り空であれど雨が降らないのはとても助かる。雨降って地固まるというが、雨ばかり降られては地も崩れ落ちよう。過ぎたるは及ばざるが如しというではないか。


ギャラリーまでは歩いてものの5分ほど。予定していた時間より早めに到着したが、ギャラリーはすでにスペイン人のエンリケ先生が歌うカンテを聴こうという人たちがチラホラ来ている。ギャラリーの女がヒゲの男を見つけて、そのままヒゲの男をエンリケ先生に紹介する。ヒゲの男はそこでエンリケ先生とジプシー(スペイン語ではヒターノといっていた)とは何たるかを話し込む。お前は詩人のガルシア・ロルカを知ってるかと先生はヒゲの男に訊く、ヒゲの男はもちろんだと答える。


エンリケ先生はロシアの作曲家アラム・ハチャトゥリアンとフランスの哲学者ジャン・ポール・サルトルを足した顔つきをしており、小柄ではあるのに人を圧倒するような雰囲気を持っている。先生、今日はご機嫌がよいそうでヒゲの男に向けて、40年ほど前、自分がスペインから日本にやってきたときに、どれほど入国管理官からイジメられたのかを懇々と話す。「阿守、お前にこんな話しをして済まないとは思ってるが、時代が違うとはそういうことなのだ」という。


時代の流れとは恐ろしいものである。フラメンコもいつの間にか観光化してしまい、いつしか陳腐になってしまったのだとエンリケ先生は寂しそうな目をする。私は本物のフラメンコを知っている、だから本物のフラメンコが歌えるのだ。私は楽譜など読めたためしがない、フラメンコに楽譜などはないのだ。本物を知らずして、本物が証明できるわけがあるまい。なあ、阿守よ。とエンリケ先生の話しは熱を帯びる。


ヒゲの男が熱心にうなずきながら先生の話しを訊いているとき、ふと少女が先生とヒゲの男のところへやってきた。先生の孫娘なのだそうだが、琥珀のように美しい目をしている。孫娘の登場で先生は途端に、ただの爺さんになり、笑顔で孫娘をハグするのである。ヒゲの男はその光景を微笑ましく見ていた。


自分にとってかけがえのないものを持つことができる人の笑顔とは、こうも周囲を豊かにするものなのかと、嬉しくなった。


フラメンコというものをある作家が怒りの文化であると書いていたことがある。もちろん、まったくそれはなくもないのだが、そこに特化して見てしまうのはあまりに物事を極端に捉えすぎではないだろうか。第一、怒りの文化など後世に残してどうするのだ。見世物にして皆に広げてどうするのだ。怒ることは誰に誇れるものでもない、赦すことが肝心なのだ。困難をどのように乗り越えて赦すに至ったのか、そういった知恵や工夫を残していかなくてはならない。赦しは偉大であり、そしてなにより豊穣である。


エンリケ先生のカンテはもちろん素晴らしかった。ただの爺さんがまた歌手の爺さんに戻り、そしてその歌手の隣には、小さな女の子が手拍子をしながら、新しい瞬間の鼓動を刻むのである。




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by amori-siberiana | 2017-11-12 17:21 | 雑記 | Comments(0)

こんにちは、北浜にある猫のひたいのように小さな店。クントコロマンサ(旧名:画廊喫茶フレイムハウス)にて、ありとあらゆるペガサス幻想を紡ぎだすヒゲの男、阿守のブログです。


昨夜、というべきではなく深夜。それはそれは壮絶なる雨が降った。そのおかげともいうべきか、北浜の気温はぐっと下がり肌寒さのなか銀杏の葉が道端を染めるようになった。以前は銀杏が散ると、そこからなんともいえない臭いがしていたものだが、最近は銀杏の雌雄を分別して植樹するのだそうで、以前ほど臭いが気になることはない。ヒゲの男がレンタルビデオ屋で働いていたころ、そこへくる常連客から殻に包まれたままのギンナンをひとつもらった。食べるでもなし、眺めるでもなし、そのままポケットのなかに放置していたら、いつしか凶悪な臭いを放つようになっていたことを思い出す。なんでもかんでも、もらわないほうがいいものだと、そのとき知ることとなった。


さて、昨日のこと。


ヒゲの男は北浜のオフィスから店に行き、そこから日本橋へ南下することにした。ヒゲの男と版画家の柿坂万作の居城であるクントコロマンサ。そこへやってくる斥候の男がライブをするというので、千日前にあるアナザードリームという老舗のライブハウスへ向かったのだ。


千日前アナザードリーム。ヒゲの男にとっては懐かしい名前である。


ヒゲの男が大阪へやってくる。同郷の小説家の男、ピアノ工房の男、ディジュリドゥ奏者の男、そして紙ならなんでも扱う会社の男の5人でバンドを組むことになった。別に純粋な香川県人でなければメンバーになれないという縛りはなかったが、知人もいないのであるから知己のあるメンツでやるより仕方がない。1996年とか1997年の話しであったと思われる。


バンドを結成して初年度に、音楽メーカーのヤマハが主催している「TEEN'S MUSIC FESTIVAL」というコンテスト形式のイベントに出場した。それまでライブなど一度たりともしたことはなかったし、どうするものかもわからなかったヒゲの男たちであったが、コンテスト形式なのでエントリーさえすればそれで出場ができたのだ。会場はバナナホールであった、この辺では一番競争率の高いエリアに出場して、見事にその場では優勝することとなった。当日の楽屋は足の踏み場もないほどのミュージシャンを目指す若者であふれていた。ヒゲの男たちのように右も左もわからないものから、すでにシーンで活躍している若き獅子までいろいろであった。


優勝者発表の際、ヒゲの男たちのバンド名が呼ばれたら会場から悲鳴があがった。現役で活動している優勝候補のバンドが幾つもあり、当然そういったバンドが優勝するものと思われていたところ、見たことも聴いたこともない田舎者が歓喜の美酒を飲むことになったのである。ヒゲの男は恐縮しながら、悲鳴を背中で感じながらステージ上にあがる。司会は歌手のaikoであったのは覚えている。いきなり自分たちのことを評価されたことに対して気持ちの準備ができてなかったわけであるが、小説家の男などは豪胆で冷淡なので、トロフィーをもらって当然くらいに思っていたかも知れない。


功績を得たからには、なにか行動しなくてはならない。まず、どうしようかということでレコーディングをすることにした。関西大学前のジュエルというレコーディングスタジオでオリジナル曲を録音(2曲)することにした。当時はアナログ録音の終焉の時代であり、ADATという小型のビデオテープのようなものに音を録音していくのだ。ビデオテープと磁気によって、何がどうなって音が保管され再現されるのか、その仕組みはまったくといっていいほど理解していないが、アナログ録音を経験できたことは良い経験であった。鳥の存在を知らずして飛行機には乗れないものである。


そうして出来上がったCD-RをCDとカセットテープが一緒になったコンポに放り込んで、CD-Rに詰め込まれた音情報をカセットテープにコピーして増産する。できたものをデモテープと呼び、そしてこの増産行為をダビングと呼んでいた。つまるところ、こういうバンドですよという名刺代わりだ。


デモテープを作ったのだから、次はライブをしようということになった。ライブといっても客といえば、メンバー各人の学友とか職場の同僚とかそういう類であり、バンドのファンというのは一人もいなかった。ライブとは名前ばかりの発表会のようなものだ、それで金を取ろうというのだから、ここまで人の義理にすがったこともなかろうと今さらながら思う。


誰が言いだしたのかわからないが、ヒゲの男が生まれて初めてブッキングにてライブをすることになった場所が千日前のアナザードリームである。当時の演奏のVHSをいまだに持っているのだが、再生する機械と機会もないので、どのようなライブだったのか確認のしようもない。ライブ当日、他のバンドのすべてが出演キャンセルとなったため、いきなりワンマンライブとなったのは衝撃的だった。メンバーがどのような服装で出演したのかすら当然のごとく忘れたが、どうせ汚い格好だったことに間違いはない。


結成間もないバンドなので曲は5曲くらいしかなかったが、それでも当時のヒゲの男たちのバンドの曲は長いもので1曲が10分くらいあったので、なんとなく発表会にはなったような気がする。ありとあらゆる知人にライブに来てくれよと請願して、なんとか集まった人たちから拍手をもらうのは、どうにも照れ臭かった。


ヒゲの男たちのバンドはアナザードリームでの発表会から、ほどなくして解散をすることになるのであるが、それ以来、アナザードリームに来たことはなかったので、おおよそ20年以上ぶりに会場に再訪することになる。感慨深いどころの話しではない、まるで前世の記憶をたどるようなものであった。会場の内外について何ら一切覚えていないことを改めて知ることとなった。


ヒゲの男が会場の前までくると、「あ、阿守さん」と声を掛けてくれるものがある。その聞き覚えのある声色の主は常連のガルパンの男であった。ガルパンの男と一緒に会場がある地下におりていく、地下にいるのは大体のところ地底人と世間的に相場が決まっているものだが、地底人はおらずにエイリアンと妖精がいた。会場は200人以上の会社帰りのサラリーマンたちがひしめき合うという、なかなか見られない光景である。なるほど、社会人バンドというのはこういう客層なのかと興味深い。


エイリアンは前座の演奏が気に入らないので、初っ端からブチキレている。そうそう、音楽を楽しめるまでに育てるのは、こういったエイリアンのような聴衆の力が甚大なのである。エイリアンを納得させられる音楽が作れれば、まだ出会わない地球上に隠れているエイリアンたちの琴線にも響くであろうことは自明の理だからだ。


芸術でもビジネスでも、なんでもそうなのだが、創作目標を圧倒的多数ではなく、誰かひとりに絞ることは人間の技において有意義なメリットを生み出すものである。皆に受け入れられようとしてはいけない、その魂胆というのは他者から透けて見えるものであり、その承認欲求の旺盛さが敬遠されてしまうのである。では、目標をどんな人にするのかについてだが、これについては目標を設定する側のセンスが問われる。真面目過ぎてもいけない、趣味に偏りすぎて自我が強すぎる人間でもいけない、精神のバランスが均衡で、物事中庸で公平、きちんと納税している人をターゲットにするのがよかろう。


会場にてヒゲの男は人の波をかいくぐり、ステージの最前列に陣取る。ヒゲの男の知っている曲ばかりを演奏してくれるので、ヒゲの男は嬉しさに発狂する。なかでもヒゲの男が愛してやまないSPICE GIRLSの「WANNA BE」を演奏して、そのあとにOASISの「DON'T LOOK BACK IN ANGER」がはじまった頃には、発狂もクライマックスである。


ヒゲの男もコピーバンドをしてみたいという欲求に駆られる。そう考えてみると演奏してみたい曲がわんさか出てくるのだ。オリジナルの曲など1音たりとも書けなくなっているのだが、書く気があるのかといわれれば、今はない。機会があればそういうことも再燃するのかも知れないが、誰に求められているわけでもないので、怠惰なヒゲの男は自らを奮い立たせて作曲の意欲を増進させる努力もしない。ただ、やはりコピーバンドはしてみたいとヒゲの男は改めて実感した。魔法の成分がどうなっているのか知ろうとするには、その魔法をそのまま真似て、ロジックを解析するのが一番である。


ヒゲの男は懐かしのライブ会場をあとにして店に戻る。店に戻るとちょうどハイタッチ冷泉と民泊の男が殴り合いをしているところで、厨房では版画家の柿坂万作がパンチの素振りをしているという、いつもの見慣れた光景がそこに広がっていた。


ヒゲの男がOASISを知ったのは、世間が彼らに熱狂するより、ずっとずっと後である。ヒゲの男はいつも遅いのである。流行の終電でやっとこさ追いつくという有り様である。しかし、終電ならではの乗客の忘れ物や落とし物、酩酊して下車できないままの乗客をじっくりと観察できるのも醍醐味ではある。


スイスで毎夏モントルージャズフェスティバルという大規模な音楽のイベントがある。そこへ行ったのはいいが、ヒゲの男は金がないのでフリーライブしか見られない。もちろんフリーライブでも凄まじい演奏をする奴らだらけなのだが、とにかく金がないのであちこち楽しもうという気も起らない。せっかくのお祭りなのに、なんだかやりきれない倦怠感を覚えながらホステルのロビーでぼんやりとMTVなるものを観ていた。


そこで偶然、貧しさと倦怠感をそのままバンドで表現したようなOASISの「WONDERWALL」という曲を聴いて、一発で惚れた。こんな素敵な労働歌があろうかと身震いしたのだった。みんなが口を揃えて歌いたくなるような、団結の歌である。


オアシスは何から何までクールだった。


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by amori-siberiana | 2017-11-11 13:21 | 雑記 | Comments(0)

こんにちは、北浜にて猫のひたいのように小さな店。クントコロマンサ(旧名:画廊喫茶フレイムハウス)をプロデュースしている、ヒゲの男こと阿守のブログです。


そういえば先日のことである。


店に版画家でシェフの柿坂万作と常連のガルパンの男、そしてヒゲの男の三人がなにをするでもなく佇んでいると、誰かが階段を昇ってくる音がする。ゴガという音とともに締まりの悪いガラス戸は開け放たれ、そこにいたのは用心深そうな男であった。見るからに会社帰りという具合の男は、開口一番こういう。


「水タバコが吸える店ってここですか?」


店内にいた三者が一様に顔を見合わせて、「???」という表情を浮かべる。会社員の男は水タバコという語句で検索をかけたところ、GOOGLEがこの店を指示したということを説明する。なるほど、おそらく水タバコを吸う男が来るということを書いたブログが検索に引っかかって、この会社員はそのように考えたのであろう。


ヒゲの男は会社員の男が何を見てやってきたのか知りたいので、会社員のスマホを見せてもらう。会社員から受け取ったスマホには、肉切り包丁をもって気色の悪い笑顔を浮かべるハイタッチ冷泉の写真がある。よくこの写真を閲覧してやってきたものだと感心すると同時に呆れる。


「ここで水タバコは売ってはいませんが、アヘンなら店内を探してみると、あるかも知れませんよ」と、ヒゲの男はウソともホントとも取れないようなことを平然と会社員に伝える。


「うーん、水入れたコップ用意して、ストローでタバコを吸ったら同じになるんやないですかね」と、これまた珍妙なことを言いだすのは版画家の万作である。ガルパンの男といえば、自己のスマホの中にて戦車を展開して戦争中であった。


目当てのものがなかった会社員は店の階段をそのまま下りていった。毎日、とにかく何かある店である。


さて、昨日のこと。


クントコロマンサ店内では、メインテーブルでは妖精の女と友人が食事を楽しんでいる。オルガン横の奥の席ではヒゲの男とアラタメ堂、そして常連の不思議な女が量子テレポーテーションの話しをしているが、それについての専門的な知識をもった人間が誰もいないので、いつの間にか「どこでもドア」の話しになる。


アラタメ堂はエビが好きで仕方がないそうである。自身が福岡へ出張に行っていたころ、大阪で一番エビを食べる男という代名詞を背負って、ご苦労にも血気盛んにエビを胃袋へ詰め込んでいたそうだ。もちろんエビの頭のミソまで吸い出すとのこと、エビから見ればアラタメ堂のバタリアン的行動は看過できないものであろう。


時代が変わり、人間が自らの想像力と破壊力によって自滅し、エビがこの惑星のトップに立つことがあれば、世紀の虐殺者としてアラタメ堂は裁判なしで死刑になるのではなかろうか。


常連の不思議な女も北海道の知人がこちらにやってきたとき、自分たちがエビの頭の脳髄まで吸い出すのを見せたところ、野蛮人を見るような白い目で見られたのだという。「あなたたち、これは捨てるところよ」と諭されたのだと、笑いながら話す。


ヒゲの男とガルパンの男は有頭エビを好まないので、その北の国からきた人間の意見に同意するが、アラタメ堂や不思議な女いはくには、なにを隠そうエビの頭ほど美味なところはないのだそうだ。アラタメ堂はとにかくエビが食べたいといい、明日のランチは1900円もするエビを食べることに決めたと、宣言を出す。


エビというのは元来めでたい食べ物である。もちろん、色合いが紅白なところもあるが、それよりもその生き方が素晴らしい。


エビは生きているあいだ、いつまでも殻を脱いでいき、今の姿にこだわらない。世の中が冬支度をはじめようかという秋にエビは逆で殻を脱ぐ。株でいうところの逆張りである。エビは生きている限り、固執せずに殻から脱し続けて、いつまでも若さを失わない。よりよく変化することを繰り返すということで、エビはめでたいのだそうだ。


つまり、永遠の18才なのである。


ヒゲの男は1900円もあれば、この店で目玉焼きが17個ものっかったパーフェクト・コロマンサが食べられますよと爆笑する。その話しを厨房で聞いていた万作は「ワシ、それ頼まれても、作りませんよ…」と、事前に釘を刺しておく。不思議な女は「コロマンサで例えたらダメよ」と、苦笑しながらいう。


ヒゲの男の母親も甲殻類が好きで、母親の実家へ行ったおりにカニなどが出ると、それはそれは凄惨な食べ方をするのである。よくいえば豪快、よくいわなければ野卑に食べる。カニの殻のことごとくは剥かれ、臓腑はえぐられて、最後は血管に残った体液すら吸われるような思いをするカニの気持ちを想像するとヒゲの男はいつも食欲が失せるのであった。


ヒゲの男には変なところ潔癖な部分がある。


他人の家で出されるものが苦手である。おにぎりなどはその最たるもの、あと飲み物の回し飲みなども苦手である。スコットランドでギャレスという男からタバコが回ってきたときも、えらく躊躇したものだった。そういうこともあり、ヒゲの男は潔癖でできあがっているのかというと、そうでもない。他人がみたら驚くような部分で潔癖とは疎遠でガサツだったりする。


話しは量子テレポーテーションからエビの話しへ移り、さらには不思議な女が子供のころに見た、大気中で燃えながら降りてくる人工衛星の話しになった。不思議な女が友人の家へ、星の観測をするという口実でファミコンをしに行った日、空に謎の光が現れたのだ。不思議な女はそれが人工衛星が大気圏内に突入した際に放たれる閃光だったということを、後になって知る。


「それは貴重な体験をしましたね」と、ヒゲの男は羨望のまなざしで不思議な女を見る。扱いとしては「火球」になるそうであるが、夜空のショーのなかでもとびっきりの体験であろう。自分が見たいと思ったときに見られるものではないのだ、流れ星というものは毎晩、行くべきところへ行けば見られるものだが、火球となればこれはグッとハードルが上がる。そうそう見られるものではない。


ヒゲの男も火球を一度だけ見たことがある。岡山の山奥だった、星空の下に寝転がり、誰が聴くでもなしギターを弾いていると夜空にバチバチと火花を散らしたような閃光が走った。ヒゲの男はキリスト教徒ではないが、「いよいよアルマゲドンがやってきたのか」と、ミーハーにも終末思想が頭を過った。しかし、最後の審判はいつまで経っても訪れないので、後になって調べてみるとそれが「火球」だった。


ヒゲの男がその話しを母親にすると、母親も小さい頃、火の玉を見たことがあるといっていたが、どこかヒゲの男の見てきた火球とは雰囲気が違う。母親がいうには夜空ではなく、ふわふわと目の前を通り過ぎていったというのだ。なるほど、母親のいっている火の玉というのは、鬼火と呼ばれる怪異のものか、球電と呼ばれる自然現象であろう。


そういえば、今日は母の69回目の誕生日である。誕生日を迎えた母親に向けてメール以外になにもしていないが、どういうことをすれば一番の親孝行になるのか、ヒゲの男はいまだにわからない。わかろうとすればするほど、わからないのである。


母親からは「こんなに太陽の光がありがたい日なのだから、日光浴でもしてビタミンを蓄えておけ」と忠告の返信があった。


母親に69才になった心境はどのようなものか訊いてみた、母親からは一言だけ回答があった。


「複雑な年ごろです」と。


母親もまだまだ思春期なのかも知れない。


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by amori-siberiana | 2017-11-10 13:01 | 雑記 | Comments(2)

こんにちは、北浜にある猫のひたいのような小さな店。コロマンサ(旧名:画廊喫茶フレイムハウス)にて、かごの中に愛と勇気を一杯詰めこんで、配り歩いているヒゲの男こと阿守のブログです。


さて、昨日のこと。


といっても日付が変わったばかりの頃。つまり、これから書くことは一般的な認識では一昨日の深夜ということになる。ヒゲの男と小説家の男は安宿にチェックインする、一泊で2000円。それでシャワーとトイレが完備されているのであるから、こんなにお得なことはない。チェックアウトも朝の11時なので、随分と良心的である。


安宿は老舗のうなぎ屋だったところを改装してゲストハウスとして利用しているとのこと。その低料金に惹かれてやってくるのか、それとも交流を求めてやってくるのか、圧倒的に外国人宿泊者が多い。ヒゲの男と小説家の男の二人とも、こういったドミトリーなホステル暮らしには慣れっこなので、なんら不便を感じるようなことはない。


とにかくヒゲの男が貧乏旅行をしていたその脇には必ずといっていいほど、この血色の悪そうな顔にギョロリとした目、そして出歯の男が影のようにいるのである。ヒゲの男にとってITの黒子は冷泉であるが、貧乏旅行においての黒子は小説家の男なのである。


ゴシック建築になど興味がないとロンドンで本ばかり読んでいた、この小説家の男を巧みにダマしてビッグベンまで連れて行った。いつもと地下鉄が違うと違和感をもっていた小説家の男だが、地下鉄の駅から出るや目の前にビッグベンなる建物が現れるや、言葉を失っていたではないか。


スコットランドでは海岸でドラムを演奏して、地元の奴に気に入られてパブへ行き、随分と酩酊した。湖水地方では小説家の男は何を考えたかボートを借りて、湖に漕ぎだす。静まりかえった不気味な湖であったが、ボートが湖の中心部へ到着したときに大雨が降りだす。小説家の男は半ばヒステリーになりながら、ボートに入ってくる水を転覆しないように掻きだしては、命からがら岸に辿りつくような冒険譚もした。その様子を小高い丘の上から見ていたヒゲの男は腹を抱えて笑っていた。


リバプールではビートルズゆかりの「キャバンクラブ」で演奏するということで、ホステルの英雄となり他のホステル宿泊客のほとんどがライブに来ることとなった。マンチェスターでは、日本円を5000円しか両替しない旅行をしている小説家の男に、ディジュリドゥ奏者がストリート演奏で稼いだ金を小説家の男に恵んでいた。


イタリアでは早朝に叩き起こされ、スイスではマッターホルン山麓で凍傷になりかけ、オーストリアでは洗濯ばかりをして、ミュンヘンではビアホールでたらふく酒を飲み、そのまま深夜列車に乗ってパリへ行く。パリではインラインスケートを履いて、毎晩のようにぐるぐるとルーブル美術館のピラミッドを回り、スウェーデンでは船に乗り、フィンランドでは落ちたリンゴをテニスのラケットで打ちまくった。


インターネットがやっと普及しだした頃だったので、ネット内にはそんなに多くの情報はなかった。そういった探し物をするのに一番有効だったのは、まだ紙の媒体であった。


ヒゲの男は当時のことを懐かしみながら、小説家の男と一緒にホステルのカウンターでカップ麺をすすっていた。カウンターの奥には段差があり、そこは座敷となっている。座敷にはテレビがあり、そのテレビが乗っかっている台にはスーパーファミコンと初代のマリオカートがある。ヒゲの男は地元ではマリオカートの神といわれていたのだ。


およそ20年ぶりにマリオカートをやってみるが、頭のなかではスムーズな動きをするはずなのに、実際はなんだか手につかない感じがする。イライラしたままゴールをすること、全盛期に比べて2秒も遅くなっていることにショックを受けて、ヒゲの男はマリオカートをやめて自室に戻りフテ寝をすることにした。


寝ては起きて、その日の宿泊先を決めて、そこへ移動して寝る。そして当時は連泊できる安宿が少なかったので、起きたらすぐに宿を叩きだされ、その日に泊まれるところを探すために電話をかけまくって、その宿がある用事もない街へ移動してという繰り返しだった。今になってみれば楽しそうな思い出に聞こえるであろうが、これはこれでなんらの安らぎも得られない苦難の旅であった。


人は安定が続いたときには、反乱を望み。不安定が続いたときには何に代えてもいいからと、安定を望む。いつだって人の考えることに一貫性などないのだ、その場その場で決めていたり、流されたり、大河の上に揺れる笹舟のようなものであろう。


店のことはどうしたのだ?といわれるかも知れないが、特に何もなかったのだ。いつものクントコロマンサ、1分間を誰が60秒だと決めたんだという具合で、ゆっくりと時間が流れていた。


さて、明後日の11日(土)のことであるが、北浜にあるツタの絡まる風情ある青山ビル。そこのギャラリー「遊気Q」にて、カンテ(スペインの伝統的な歌)とフラメンコギターのライブがある。歌いあげるのはエンリケ先生、入場は無料だとのことなので是非、時間に余裕があるかたは行ってみていただきたい。ヒゲの男は椅子をギャラリーの女に返却するついでに、見に行こうと考えている。


由緒あるポートピア'81(神戸ポートアイランド博覧会)の椅子は、まだ返却できていないのだ。


久しぶりにトニー・ガトリフ監督の「ベンゴ」という映画のサウンドトラックを聴いてみたくなった。これに出ているトマティートが、悪魔のように不気味で格好いいのだ。


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by amori-siberiana | 2017-11-09 19:01 | 雑記 | Comments(0)

こんにちは、北浜にある猫のひたいのように小さな店。クントコロマンサ(旧名:画廊喫茶フレイムハウス)にて化粧もせずに、なんらかを企んでいるヒゲの男こと、阿守のブログです。


さて、昨日のこと。


ヒゲの男は北浜近くにあるゲストハウスで起きる。一泊の予定であったが、なかなか居心地がいいものだと考えたので、もう一泊することを受付の女に伝える。というよりも、キャリーバッグをヒゲの男のベッドがある四階から一階へ下ろすのが面倒なので、さらに一泊すると判断したのであろう。平日のゲストハウスは閑散としていて、外国人がまばらにそれぞれ好き勝手なことをしているという状態である。ヒゲの男の意向は、すんなりと受付にて受け入れられることとなる。


ヒゲの男は宿をでて、北浜のオフィスへ立ち寄り、そこから南船場のパン屋「き多や」へ向かう。アハハの女から連絡があり、「今夜、店に行くからオムライスとフレンチトーストを食べたい」とのことだったので、バゲットを買いに行くのだ。


そういえば…。ヒゲの男はあることに気がつく。


「き多や」は南船場に本店があるのだが、それよりも少し北側に支店(三休橋店)があることを思い出したのだ。歩いても本店と支店では5分くらいの距離なのだが、ヒゲの男の現在地からすれば支店のほうが近い。なるほど、それなら支店へ向かおうと決める。


昼が過ぎた頃であったが、運がいいことに三休橋店にはバゲットが二本あり、そのうちの一本を購入する。ヒゲの男がバゲットをトレーに置き、会計をしようとすると店員の女が、ヒゲの男にこういう。


「今日はこちらの方が都合がよかったのですか?」


ヒゲの男は自分の行動が見透かされたことにより、ドキリとする。別段、何か悪事をしているわけでも背信行為をしているわけでもないが、ドギマギしながら「はい!そうなんです」と返事する。


「阿守さん…ですよね?、いつもありがとうございます」とは、店員の女。


「どうして、僕のことをご存知なのですか?」と、ヒゲの男はキツネにつままれたような思いになる。


店員の女は軽やかに微笑みながら、「き多やでは、阿守さんを知らない人はいませんよ」と返答をしてくれる。バゲット一本でここまで重宝してくれるのであれば、ヒゲの男は店中のパンをすべて買おうかと豪気に駆られるが、過ぎたるは及ばざるが如しなので、必要なものだけ買うことにした。接客の極意をここに見たりという具合であった。


バゲットを抱えて店に行く、版画家の柿坂万作は炊き上がったご飯を相手にオムライスの下ごしらえをはじめていた。しばらくすると、大きなキャリーバッグを抱えて小説家の男が階段を登ってくる。今夜はどうやら小説家の男とヒゲの男が店でイベントをするそうだ。イベントといっても演奏がメインのものではないので、浩司ばいが用意してくれた機材に小説家の男が持参した機材を繋いで、音が出るかどうかをテストするだけでいいので、たいしてすることはない。


開店前に星師匠が手伝いにやってくる。星師匠は階段、二階、三階、買い出しにと東奔西走してくれる。クントコロマンサが開店する、客がやってくる。ヒゲの男がいうことには、今夜はヘヴィメタルを語り合う会なのだそうだ。


イベントの内容について、あれをこうしたこれをどうしたという説明は後日にすることにする。書きだすとキリがないものであり、実は一度でいいので系統だててメタルというものについて文字に起こしてみたいという思いもあるからだ。ここで時間に追われながら中途半端に書いたのでは、苦労のかいがないというものだ。イベントの概要はメタリカの「Enter Sandman」を契機として、その曲が発表される以前のメタルシーンと以降のメタルシーンの流れを追うものであった。革命的なアルバムであったのだ。


ヒゲの男はこれを「Eマイナーの挑戦状」と呼んでいる。


この日、小説家の男とヒゲの男は同じ宿に泊まることとなっており、そこの門限が23時ということなので、話したいことは沢山あったが、時間は無情にも刻一刻と迫ってきているので、逃げ出すように二人で店を出る。途中のトイレ休憩も入れずに、メタル談義にお付き合いいただいた諸氏には感謝である。


メタルにまったく興味のない版画家の万作がいうには、ヒゲの男が関わったこれまでのイベントのなかで抜群につまらないイベントだったそうであるが、来場者からの声はおおむね良好である。


今回のために機材や資料の提供をしてくれた、皆に感謝を述べる。ありがとう。


次回は、是非ともジャパメタをやってみたいものだ。


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by amori-siberiana | 2017-11-08 21:21 | 雑記 | Comments(0)

こんにちは、北浜にある猫のひたいのように小さな店。クントコロマンサ(旧名:画廊喫茶フレイムハウス)を根城に、北浜の文芸復興活動を誰に頼まれたでもないのに、勝手に意気込んでいるヒゲの男こと、阿守のブログです。


さて、昨日のこと。


ヒゲの男は北浜のオフィスでブログをチクチクと長い時間をかけて書いている。概要はヒゲの男が孤独に耐えられる版画家の柿坂万作に対して畏敬の念を抱いているということと、どうしてヒゲの男が孤独が嫌いなのかについて書いている。ところがもう少しでパソコンのキーボードを叩き終えようかというとき、エラーの告知が出てきて、努力は一瞬のうちに消えた。無情にも消えた。


どれだけ便利なものだとしても、それに全幅の信頼を寄せていると、いつしか華麗に裏切られるものだということの教訓である。それはいつ来るのかわからない、「ああ、ここではダメ!絶対」という絶悪なタイミングでやってくることも、しばしば。たまにそれが命にかかわってきたりするから、性質が悪い。デカルトやヒュームのように常に懐疑的な生きかたをすることは、少々、孤独であったり面倒であったりするが。やはり、備えあれば憂いなしの考えは小脇に持っておくのがよかろうと考える。


この一件を皮切りにして、ヒゲの男は前の仕事のときに見てきた、多数の破産した人間のことを考える。破産をする人間に共通することはなにか、それはたった一つである。


運があるか、ないか。それだけだ。


このような馬鹿げた解決にもならない回答になんの効力も説得力もないが、ヒゲの男は人間はこの運に左右されるがゆえ、なんとか運が悪かったときにどうにかしようとリスクヘッジを考えておくものである。この運というのは確率であり、たまに確率の偏りが発生することがある。運が良いことが続いたり、運が悪いことが続いたりという経験は誰しも経験したことがあるのではないか。


その確率の偏りに一喜一憂しないよう、人は支点を沢山もっておくのがよかろう。支点がひとつしかないと、それが運によって悪循環に陥ったとき、どうにもならなくなってしまうのは自明の理。そうならぬために、人は人と知り合い、互いを扶助していくのであろう。確率の偏りが発生したとき、それに耐えうるために、人はいろんなことを学ぼうとうるのである。趣味をもち、特技をもち、社交性をもち、そして、愛しあうのではなかろうか。


ヒゲの男はそんなことを考えながら、店に向かう。


店に行くと、常連の不思議な女が版画家の万作となにやら話しをしている。ヒゲの男は道中、どうしてもジャガイモが食べたくて仕方がなくなったので、近くのモスバーガーでポテトを購入しており、それをガツガツ食べる。


しばらくすると、常連のガルパンの男がやってくる。そして、シラフの冷泉がやって来て、そのあとに続いて青いカーデガンの女、アラタメ堂と友人もやってくる。店が賑やかになってきた頃、浩司ばいが大量の機材を持ち込んでやってくる。先日、クントコロマンサにあったイベント用のスピーカーが持ち主により撤収された際、すぐにヒゲの男へ助け舟を出してくれたのが、浩司ばいであった。


「せっかくやったら、おもろい機材を用意したろと思てな」と、浩司ばいはセッティングを始める。


「ありがとうございます、まるでプロみたいなセッティングですね」と、店の広さに不相応な機材を目の当たりにしたヒゲの男と万作は苦笑いしながら喜ぶ。


「阿守、ギター持ってきて」と、セッティングを終えた浩司ばいはヒゲの男に告げる。


ヒゲの男は自身のエレキギターを三階から持ってくる、ギターにシールドを突っ込み、もう片方をクリムゾンレッド・カラーのプリアンプに突っ込む。ヒゲの男はギターを弾いてみる。


ジギッ。ズンズンズンズン、ジギジッ。


悪そうな音がアンプより聴こえてくる、なんと素晴らしい音質の悪い音であろうかと店内の一同から拍手喝采があがる。ヒゲの男が最初のサウンドチェックをし終えたあと、浩司ばいがギターを持ちサウンドの設定をはじめる。いつもはスマホから視線をそらさないガルパンの男が「いい音だ」としきりに感動して、しまいにはガルパンの男もギターを弾きだす。


次にヒゲの男が交代して何かの曲のイントロを弾く。チャンララーン、チャンチャチャーン、チャンチャチャーン、チャンチャチャーチャララ。


「おっ、DREAM THEATERやないですか」と、当意即妙にギロリと目を光らせたのは、ハイタッチ冷泉であった。


次にヒゲの男が何かのイントロを弾くと、浩司ばいが「違う、違う」とヒゲの男からギターを取り上げて正しいままに弾く。「Bark At The Moon」のイントロである。ジェイク・E・リーのスピード感と緊迫感に溢れた秀逸なリフである。次にガルパンの男が交代して、LOUDNESSのリフを弾きだす。次に冷泉がギターを手に持ち、怪しいリフを刻む。皆がエレキギターに集まり、良質の悪い音だと感心してはギターを離さない状況になる。


「まるで男子の部室ね」と、半ばあきれ顔にいったのは常連の不思議な女である。青いカーデガンの女も同意の表情。アラタメ堂は明日のためにと持参したCDをヒゲの男に渡す。今回のヘヴィメタル・イベントは1990年~1995年縛りにしているので、その時期のものを持ってきていた。


やはり、JUDAS PRIESTの「Painkiller」が入っていたのが愉快であった。


店のBGMがすべてエレキギターの重低音に支配されていた頃、ゴガッと締まりの悪いガラス戸が開く。やってきたのはいちげんさんの兵役の男とワーホリの女であった。ここは何をするところなのかと表情を曇らせた二人であったが、酔っぱらいたちに勧められるまま店内に招き入れられる。


二人はここが何でどういう集まりなのかを万作に問う。「うーん、普段は普通の喫茶店です」と回答する版画家。それでは現状に合点いかなかったのか、ワーホリの女がヒゲの男にここはどういう集まりなのかを問う。「はい、普通の喫茶店です」と行儀よく回答したのはヒゲの男である。二人はここが普通の喫茶店として成立しているのかどうか判然としないまま、冷泉に勧められるままに酒を飲むことになった。


そのうち、兵役の男と冷泉は腹の殴り合いを開始する。


ワーホリの女は大丈夫なのか?と心配するが、ここにいる客たちは平然とした顔をして「everyday、everynight」を呪文のように繰り返すばかりでニコニコしている。殴り合ったあと両者は抱擁する、冷泉はもっと殴り合いをしようという、常連の不思議な女が受けて立つことになる。ヒゲの男はワーホリの女にオーストラリアの夜空の様子を聴き、浩司ばいはギターを弾き、ガルパンの男はギターを聴く。アラタメ堂はなにやらビジネスの話しをしており、青いカーデガンの女は不思議な女の行く末を案じる。


夜も更け、そろそろ店を片付けようかという頃、一人の男がやってくる。


名前みたいな名字の男である。先日、店にある「モラレス」なるメーカーのアコースティックギターをヒゲの男が弾いたとき、その鳴りかたに驚いた。あれ?これはいつもより品質のいい弦が張られてあると感づいて、そのままの感想を万作に告げたのだ。


「うーん、アラタメ堂さんの同級生の人が弦を交換してくれはったんです」と、ことの顛末を万作はヒゲの男に伝える。奇特な人がいるものだなとヒゲの男は感謝した、そういえばヒゲの男も客としてこの店に来たとき、あまりに無造作な状態で放りだされているモラレスの弦を交換したことを思い出した。


弦交換をしてくれたのがこの名前みたいな名字の男である。ヒゲの男は感謝を伝える。そこからジャパメタの話しになる、帰りかけていた浩司ばいも足を止めて、ジャパメタの話しに加わる。互いに同年代である名字の男と浩司ばいはマニアックな話しで盛り上がる。


ヒゲの男も加えて三人ともがギターを弾くので、懐かしいジャパメタのリフを弾くことになり、明日のイベントの前夜祭が行われているようである。


そして、メタル音楽がすべて同じに聴こえるという、版画家の万作は厨房で茶漬けをズズズーっと、かき込む。


そういえば、ヒゲの男が持っているエレキギターのケースはボロボロだったが、それを新しく買ってくれて誕生日にプレゼントしてくれたのは、前の職場の同僚であった。いつも誰かに助けられる。


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by amori-siberiana | 2017-11-07 13:25 | 雑記 | Comments(0)

こんにちは、北浜にある猫のひたいのように小さな店。クントコロマンサ(旧名:画廊喫茶フレイムハウス)を、版画家の柿坂万作氏と一緒に経営するヒゲの男こと、阿守のブログです。


ヒゲの男は3時間かけてロード・オブ・リングのような長編ブログを書いていた。そしてそれが、急に「プログラムのなんとかかんとか」と通知がきて、一瞬にして消えてしまった。


どこか殴りたいが、どこを殴っていいのかわからないので、紙コップをグジャっとするに留めておく。


さて、もう一度同じことを書くかどうか、天に試されているような気になる。


やめた。


イギリスに万作とよく似た人を発見したのが、せめてもの救いである。


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by amori-siberiana | 2017-11-06 15:05 | 雑記 | Comments(0)

こんにちは、北浜にて猫のひたいのように小さな店。クントコロマンサ(旧名:画廊喫茶フレイムハウス)を版画家の柿坂万作と共同経営している、ヒゲの男こと阿守のブログです。


さて、昨日のこと。


ヒゲの男は宿泊先のロビーで仕事をしたあと、そのままランチ営業をしているであろう店へ行く。店は開いており、ヒゲの男が階段を登っていき、締まりの悪いガラス戸を開け放つと、海賊と呼ばれた女が窓から近い席でコーヒーを飲んでいた。


海賊と呼ばれた女は、誰もがうらやむ一部上場企業に就職しているが、どうにもこのままでは気に食わないのだという。ヒゲの男はそういうこともあろうと話しを聞きながらうなずく。ヒゲの男にしても現状において自分が恵まれた環境にあるなと感じることよりも、もっと他の生きかたがあるのではないかと模索することのほうが多い。やはり、人間は給料や福利厚生に、自己の価値観や人生の意義を委ねているわけではないのだ。


なにをやったところで不平不満が収まることはない、人は常に不平不満と工夫して付き合ってきたのであるから、これからもそうなのであろう。不平不満のない世の中というのは、どうにも間が抜けてつるっとした感触があり、面白みがないように感じるのである。それに、不平不満のある人間のほうが会話の内容が愉快なのだ。


海賊と呼ばれた女は貿易がしたいという。なるほど、海賊の末裔ならではの歴史にのっとったグッドマネジメントである。法人化したほうがいいのかどうかをヒゲの男に相談してきたが、ヒゲの男は海賊の女が取り扱おうとしている商品の単価が安いものであり、あくまで個人に向けた商品だと知って、法人化などするべきではないという。会社などは作らなくていいうちは、極力、作らなくていいのだ。


ヒゲの男は店をでて、福島へ向かう。かの地で冷泉と一緒に晩御飯を食べるためだ。


冷泉がセレクトしてくれた店は鶏肉と豚肉を焼いて出す店であった、冷泉はこの店をチンピラの男から教えてもらったという。店内にはチンピラの男の名前が書かれたステッカーが貼ってある、冷泉は店員に「いつもの」とだけいう、しばらくして出てきたのは驚くほど濃いハイボールであった。水とウイスキーの分量が普通のハイボールの逆ではなかろうかというものだ。


一気呵成に鶏肉と豚肉をたいらげた二人はそのまま、北浜にある猫のひたいのように小さな店、クントコロマンサに移動する。


店に到着すると、万作がヒゲの男にこういう。


「うーん、阿守さん帰ったあとに、また他のお客さんがきて、こんなん置いていってくれました」


万作は店のテーブルに無造作に置かれていたパンフレットと新聞をもって、ヒゲの男のところへ持ってくる。なるほど、信仰の問題についてかかれている機関紙であった。


「ああ、ここの総本山には行ったことあります。信者数はおよそ190万人くらいだったと記憶してます」と、ヒゲの男は万作に告げる。


「やっぱり、阿守さんやったら、知っとるんやないかなと思うたんですわ」と、万作は苦笑しながらいう。


それにしても、これを持ってきた客からは、この店にいる万作とヒゲの男がそんなに生きているのが辛そうに見えたのであろうかと、なんだか情けない気持ちになる。ヒゲの男はバチ当たりにもそれをビリビリに細かく破り、万作に手渡す。


「うーん、ひとつで済むゴミを幾つにも増やしなさんな」と、あきれ顔で万作はヒゲの男に伝える。冷泉はその様子をニヤニヤしながら見ている。


ヒゲの男は冷泉を店に残して、いよいよ風呂へ行く。風呂に入ったあと、ヒゲの男はマッサージチェアにもたれながら、そのまま寝てしまう。1時間くらい眠ったであろうか、冷泉を店に残したまま寝てしまったと、ヒゲの男は申し訳ない気持ちでさっさと店に戻ってくる。


店に入ると会計事務所のオーナーが来ており、冷泉となにやら話し込んでいる。ヒゲの男は風呂上りの渇いたのどにコーラを流し込む、久しぶりにコーラがこんなに美味い飲み物であったかと感嘆する。


しばらくして、魚屋の男とバークリー音楽院の男が店にやってくる。魚屋の男とバークリー音楽院の男は一緒に音楽演奏をする仲間だそうであり、クントコロマンサで土曜日にライブがしたいと万作に告げるが、あいにく年内の土曜日はすべて埋まっているのだと万作は答える。それなら年明けまで待つがよかろうと、二人はいう。


店にあるコンガはこの魚屋の男の持ち物であり、イベントでいつも使っているアンプはバークリー音楽院の男の持ち物であったのだが、必要になったからこれを持って帰るという。コンガはいいとしても、アンプがなくなるのは困ったことだぞとヒゲの男は考えるが、こればかりは所有権を持つ者の判断に委ねられるところなので、持って帰るといわれる以上は仕方がない。


ヒゲの男がこの店に関わる前から店にあるものについて、ヒゲの男はそれがどういった由来でここにあるものか、そういった経緯をまったく知らないのであるから、こういった唐突な状況の変化はいろいろとタイミングを狂わせる。


とにかく、火曜日のイベントには何らかのかたちでアンプ(スピーカー)を用意しておかなくては、ヘヴィメタルのイベントでゴリゴリのギターが弾けないのである。さて、何か手はあるだろうか、同じものを買えばいいのだが買うにしても今は店にそれだけの余力がない。


そう考えるヒゲの男の目の前では、冷泉と会計事務所のオーナーが「足相撲」という珍妙なスポーツをしており、冷泉の「痛い、痛い、痛い、アカン!折れる」という滑稽な声がしているばかりである。


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by amori-siberiana | 2017-11-05 12:01 | 雑記 | Comments(0)

こんにちは、北浜にある猫のひたいのように小さな店。クントコロマンサ(旧名:画廊喫茶フレイムハウス)を居城にして、そこで籠城戦をしているヒゲの男こと、阿守のブログです。


さて、昨日のこと。


ヒゲの男はクントコロマンサからほど近いホテルをチェックアウトして、そのまま店に向かう。「今日は好い天気だ」と中原中也の詩をふんわりと思い浮かべながら、階段をどんどんと登っていく。ヒゲの男が階段を登り終えたころ、また階段を誰かが登ってくる音がする、入ってきたのはいちげんさんの七五三の男である。


七五三の男が大きなカメラを持っているのを横目にコーヒーを飲みながら、ヒゲの男は、今日、シンフォニーホールでロシアの楽団がチャイコフスキーの大序曲「1812年」を演奏することを急に思い出す。ヤフオクでチケットを安く入札していたが、結局のところ元値と変わらなくなってきたので諦めていたが、どうしても行きたくなる。さて、どうしようかと逡巡したのち、思い切ってシンフォニーホールに電話をしてみたが、当日券は10000円の席のみだと告げられたので、気持ちは完全に切れる。


こんなに良い天気の昼間、なかなか10000円を音楽のために使えるものではない。


しばらくすると、また階段が鳴りだす。やってきたのは会計事務所のオーナーである。行きつけの店が祝日で閉まっていたので、仕方なくコロマンサ山に辿り着いたとのこと。注文するのはもちろんコロマンサである。


ヒゲの男は昨夜、ここで冷泉たちがキスをはじめて、どうしようもなかったのだということを会計事務所のオーナーに愚痴る。会計事務所のオーナーも昨夜、この喫茶店に寄ろうと考えたのだが、時間も遅かったために諦めたとのこと。


「僕、来んでよかったですわ」と、しみじみと実直な感想を述べる会計事務所のオーナー。ヒゲの男は「同感です」と述べる。


会計事務所のオーナーは目の前のカーペットをながめながら、こういう。


「…この場で昨日、そういうことが行われていたと想像しただけでも、汚いですね。おぞましい」と、呪いを祓うかのように言葉を繋ぐのがヒゲの男には面白くて仕方がない。


すると、また階段を登ってくる音がする。


「おお、今日は祝日やのに平日より忙しいな」と、版画家の柿坂万作はチラリともらす。やってきたのは見放題の女である、近場で買い物をしていたついでに立ち寄ったとのこと、手土産にこれまた上等な日本酒を持ってきてくれた。早速、昼間から日本酒を皆で飲みだす。


ヒゲの男はランチ営業を終えた店をあとにして、そこから歩いて20分ほどのところにある外国人観光客向けのホステルにチェックインする。一部屋に二段ベッドがずらりと並んであり、およそ30床ほどあるであろうか。ここだけ公用語は英語なのだ、という感じになっているホステルがヒゲの男の宿である。


到着早々、カナダ人が声を掛けてくる。


「お前はどこの国から来たのか?」


「酔った足で歩いて20分のところからだ」と、ヒゲの男はそのままを答える。


カナダ人は爆笑する。


正直に答えて笑いを誘っているのだから、これは確かに珍妙な光景なのであろうが、ヒゲの男は一向に構わない。カナダ人が大阪で観光すべきスポットを教えてくれというので、ヒゲの男はとにかく心斎橋のユニクロへ行けと適当なことを答える。


夜になり、ヒゲの男はまた歩いて店に行く。ベトナム人のタムが、群馬からの知人の女性を二人ほど店に連れてやってきていた。常連のガルパンの男もやってくる。タムはここ数か月のあいだ、ずっと京都に行くことが多かったのだとヒゲの男にいう。ヒゲの男が最後に京都に行ったのは、梅雨前の時期であったが、立ち寄ったバーで初見のイギリス人たちとクイーンの「ボヘミアン・ラプソディー」を歌った。ボックス席でヒゲの男が「ガリレオ」というと、バーカウンターにいるイギリス人たちも「ガリレオ」と歌い返してくるのが楽しかった。


群馬の女たちは明日には群馬へ帰るという、ここ数年、夏の暑さの盛りにいつもコンスタントに最高気温を叩きだす優秀な土地、それが群馬である。


ヒゲの男はタムと群馬の女たちが店を出たのを追うようにホステルに帰ることにする。ホステルの門限は23時であり、それを過ぎるようになると暗証番号をホステルのドアに打ち込んで開閉しなくてはいけないのだが、ヒゲの男にいたっては、その暗証番号が書かれたカードをホステルに忘れてきているのである。


店から出て夜道を歩いていると、「阿守、阿守」と聞き覚えのある声が前方からしてくる。ヒゲの男が視線を声のするほうに向けると、そこにいたのはタカハシン・コルテスという男であった。この男との付き合いも長い、ヒゲの男が音楽家であった時代、この男は音響屋をしており、あちこちを一緒に行った仲である。血色の悪い顔なのに、その顔の作りはラテン系のようであるからして、出会う人に奇妙な印象を与える。


確かドラキュラのいたルーマニアもヨーロッパでは珍しいラテン系の国ではなかったか。ルーマニアの吸血鬼はこういう顔をしていて、こんな感じで親しそうに往来する人を呼び止めては、血を吸うのであろうとヒゲの男は想像する。


コルテスと一緒にいるのはコルテスの両親である。コルテスは両親にヒゲの男を紹介する。


「前に話しとった、音楽仲間で、投資に詳しいヤツがコイツや。大儲けしとった」


コルテスの母親が一礼して、ヒゲの男に向かって口をひらく。


「いいところがあるのなら、教えてくださいませんか」


「もちろんです、南アフリカの案件になりますけれど、一瞬で破産するリスクもありますが構いませんか?僕のいうとおりにすれば確実に資産が200倍になります」と、ヒゲの男はニヤニヤして意地悪そうに母親に話す。コルテスの母親はそれを訊き、苦笑するにとどまり、それ以上は訊かないという感じであった。それで正解である。


ウォーレン・バフェットは「すぐに確実にもうけられるという話には即座にノーと言うことだ」といっていたが、その勇気を持っているコルテスの母親は、さすがだなとヒゲの男は感心した。


ヒゲの男はコルテスと一緒に彼の両親を近くの駅まで見送り、そしてコルテスとも別れてホステルへ戻る。


神学校の寄宿舎生活に憧れていたヒゲの男は、ちょっとだけ自分がイシュトヴァン・シュテファンになったような気がするのであった。


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by amori-siberiana | 2017-11-04 11:42 | 雑記 | Comments(0)


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