こんにちは、北浜にある猫のひたいのように小さな店。クントコロマンサ(旧名:画廊喫茶フレイムハウス)を版画家の柿坂万作と共同経営するヒゲの男こと、阿守のブログになります。ようおこしやす。


さて、昨日のこと。


ヒゲの男はいつもの通り北浜のオフィスへやって来る。どうにもストールの巻き方が定まらないので、どうにかならないものかと受付の女たちに相談するが、皆が一様に口を揃えてそのままでいいというので、それならばと釈然としない気持ちのまま、そのままにしておく。洗面所の鏡の前でああでもない、こうでもないと云々うなっていたのがバカらしく思えるものである。気になっているのは本人ばかりで、世間の人などはそんなことはどうでもいいのだろうと考えると、少しだけ気が楽になる。


ヒゲの男はブログを早々に切り上げて、早速、週末に店に来いという一方的で利己的な営業メールを顧客にメールで送りつける。名前と顔が一致する人もいれば、まったく誰なのかわからない人もいる、それでも容赦なくどんどん送りつける。アクションを起こさなければリアクションなど起きないのである、果報は寝て待てといわれるが、いつの世に限らずとも、寝て待っていてやってくるのは孤独と病と貧困だけである。


昼過ぎになりヒゲの男は店に向かう。店では版画家の柿坂万作がなにかの仕込みをしている。製作中の肖像画はステージの中央にて静かにイーゼルにもたれかかっていて、その配色具合の所為もあるだろうが、ヒゲの男に秋を感じさせた。


ヒゲの男は経理を済ませて、そのまま青山ビルの一画にあるギャラリー遊気Qへ足を運ぶ。来月からはじまる万作祭のため、再度、椅子を借りることをギャラリーの女にお願いする。「好きに持ってってくださいな」とギャラリーの女は気前よく貸してくれる。ギャラリーでは繊細で綿密なるガラス細工で作られた万華鏡がところ狭しと並べられており、ヒゲの男が鏡筒をもってぐるぐる回すと、アルハンブラ宮殿に細工された紋様のようなものがじっくりと変化しだす。その美的なること小宇宙をのぞき込むようであった。


ヒゲの男はそのまま地下鉄に飛び込む。といっても線路に飛び込むのではなく、電車の中に飛び込むのである。いつしかのフランス映画「髪結いの亭主」のようなサプライズは今のところヒゲの男の胸中にはないのである。そのまま京都へ行く、北浜から京都は非常にアクセスがよい。運がよく時間に文句をつけぬのであれば、北浜から一本で京都に到着する。


昔ならば歩いて行くしかなかった京都であろうが、蒸気と内燃機関と電気と鉄鋼と、それらに付随する先人たちの発明に感謝しながら、ヒゲの男はその気持ちを貨幣に込めて券売機へえいやと放り込む。


店によく顔を出してくれるグラフィックデザイナーの男が京都でコンサートをするというので、それを見に行くのである。どうせ音楽を聴きながら飲むのであろうから、夜のうちに京都から大阪へ戻ってくるのは面倒くさいなと考えたヒゲの男は現場近くのゲストハウスにて一夜を過ごすことにした。


ヒゲの男が京都に到着したころには、日も落ちる時間であり夕焼けが京都の町を燃やしていた。チェックインが21時までなので先にゲストハウスへ入る。受付を終わらせてひととおりの宿の説明を受けて、そのまま畳の広間へ案内される。真ん中には長尺の堀炬燵があるので、そこへ入りのんびりしている。ヒゲの男がライブの時間がくるまでくつろいでいると、新潟の女がチェックインしてくる。手にはケーキを持っており、ヒゲの男の前で食べようとするが一人で甘味を食べるのは気おくれしたのか、半分をヒゲの男にくれる。遠慮を知らないヒゲの男は差し出されたケーキを半分ほどスプーンで割って無暗に食べだす。


するとオーストラリアから観光でやってきたネイサンと名乗る男も広間へ入ってくる。自分の名前は「ネイサン」だと名乗るが、ヒアリングに期待できないヒゲの男には「俺は姉さんだ」と聞こえるので、この異国人は何を言ってるのだといぶかしがる。ヒゲの男は「お前の姉さんがどうした?」と聞き返すが、ネイサンは自分の名前を「ネイサン」と繰り返す。しばらくして、姉さんとネイサンの誤解が解けて爆笑する。


時間もそろそろなので、ヒゲの男はライブ会場へ行く。ネイサンは焼き鳥を食べに行く、新潟の女は風呂へ行く。


ライブ会場に到着する、常連の不思議な女とそこで合流した。二条城近くにあるこのライブ会場は蔵を改築した様相で、太く頑丈な木製の張が天井を支えており、音もまろやかに聴こえる。まもなく演奏が始まる、本日はグラフィックデザイナーの男のバンドのワンマンライブなので、じっくりと集中して楽しむことができた。


とても心地よく揺れるグルーヴ感をもつバンドであった。多分、世界で一番多い基本的なパート編成で構成されているバンドであるが、その押しつけがましくなくリズムの波を拡散させていく妙技はヒゲの男に新たな真理を発見させるものであった。おっさんバンドほどエロくて魅力的なものもなかろうと、バンドの原初体験をしたような気持ちになり、ヒゲの男もゆらゆらと座敷席で揺れていた。


例えるなら、ラザホージウム、ドブニウム、シーボーギウム、ボーリウム、ハッシウム、マイトネリウム…。これらの若く、重く圧しかかってきて、自己中心的で痛々しく下手をすれば被曝してしまうような複雑な元素に飽き飽きしていたところ、「すいへーりーべーぼくのふね」という簡潔にまとまった誰しもが親しみのある元素と再会して、安心と洗練されたストイシズムを感じたのだ。


ウイスキーを一杯だけ飲み、気持ちよく宿に帰って大広間に入る。日本刀を追いかけまわす女と京都の紅葉を追いかけまわす女。ポルトガルの男とアラバマの女、この冬を長野の白馬で仕事するオーストラリアの女、そしてネイサンがいる。ヒゲの男は我が家のようにこたつに潜る、ポルトガルの男がヒゲの男に向けて「お前はここのオーナーか?」と訊いてくるが、ヒゲの男はいや今日来たばかりだと答える。オーナーであるなら、薄暗い二段ベッドで寝起きはしなかろう。


皆が炬燵に足を入れているが、全然温くない。ヒゲの男はコンセントのそばにいるアラバマの女に炬燵のスイッチの設定がどうなっているのか確かめさせる。やはり「切」になっていたので、それを「3」にまでするように指示する。アラバマの女は、はいはいと言われたとおりにする。ポルトガルの男に詩人のフェルナンド・ペソアは未だにポルトガルで絶大な人気があるのか?と問うと、もちろんだ、彼は英雄だよと返答がある。日本では知る人ぞ知るになっている、彼の国の英雄詩人についてヒゲの男は考える。


日本刀を追いかけまわす女に、どうして刀を追いかけまわすのかと訊く。女はヒゲの男に「刀剣乱舞」を知ってるかというが、ヒゲの男は何のことかわからないと返答する。女の説明によれば、日本刀が擬人化されて…、どうやらこうやら説明してくれたが、ヒゲの男は女に説明だけさせておいて、その実、頭には入っていない。なにをどんなキッカケで好きになるのかわからないものだなと、人間の趣向の多様性に感心することしきりであった。


日本刀を追いかけ回す女は、コンビニのおでんの容器をジッと見ている。いよいよ見るでは解決しないのでヒゲの男に訊ねる。おでんの容器はずっとこの色なのか?という。女がいうには関東ではこのような色ではなかった、関西ではずっとこの色なのか気になって仕方がないというのだ。ヒゲの男は苦笑しながら「そんなことは知らん」と炬燵の上にあった折り紙で鶴を折りだす。


ところが鶴の折り方を忘れて、最初の二工程くらいで手が止まる。すると白馬で働くオーストラリアの女が鶴はこう折るのだとヒゲの男に教える。ヒゲの男が教えを請いながら自分も子供の頃は目隠ししてでも折れたのだと弁解すると、ネイサンが笑う。それにしても教え方の上手な女である、言葉も通じないのにどんどん的確に折り方を擬音語だけでヒゲの男に説明していく。どうしてそんなに上手なのかとヒゲの男が訊くと、彼女は以前、自閉症の子供を相手にボランティアで折り紙を教えていたとのこと、なるほど納得である。

ネイサンも鶴を折りながら「俺は祇園で鶴をみた」といいだす。デタラメを言ってはいかんよとヒゲの男がいうと、ネイサンはデジカメを小型のバッグから取りだして写真を一同に見せる。もちろんのことそこに鶴はおらず、それはサギであった。


そぞろに自室へ戻り眠る。ヒゲの男とネイサンは話し込む。人生というのはどこで何があるのか解らんものだ、そして自分という人間もわからんものだ。10を3で割るように尽未来際考えても考えてもわからないものなのかも知れないとヒゲの男はいう。ネイサンはそういうことなら俺にも思い出す話しがあると、そこから2時間ほど盛岡の蕎麦の食い方のように話しを次々としだす。


夜も更けて、ヒゲの男は眠くなったのでベッドに行くとネイサンに伝える。そしてネイサンに明日はどこへ行くのかと訊ねる、ネイサンは少しばかり逡巡したのち、ヒゲの男にこう伝える。


SOMEWHERE (どこか)


完璧な答えである。


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# by amori-siberiana | 2017-11-16 16:26 | 雑記 | Comments(0)


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