こんばんは、北濱にある猫のひたいのように小さな店。クントコロマンサを経営するヒゲの総帥こと、阿守のブログです。


ヒゲの総帥が万作に請われてこの店の再建を志した真夏からというもの、沢山の人と出会うことになり、また沢山の贈り物をいただいた。当初、万作もこれらの品を「誰々さんからお店にということで預かっとります」と報告していたが、いつしかそれもめっきりなくなった。贈り物がなくなったのではなく、報告が一切なくなったのだ。一度ならずもヒゲの総帥は万作に「お店にいただいたものは、いただいた人に対してきちんと礼を言いたいので、その度に報告するようにしてください」と口酸っぱくいうのだが、どうやら馬耳東風の模様である。


どうしてこのようなことに言及するのかといえば、版画家はもらったものをしまい込んだまま腐らせてしまうことが度々あるからだ。「あー、腐らせてしもうた。うーん、なになにさんにもろうとったもんやのに」というセリフをこれまで何度聞いたことか、できればそういうことは今後避けたいものである。この猫のような小さな店でキャピタリズムを体現したとしても、誰も褒めてはくれないのであるから。


さて、昨日のこと。


ヒゲの総帥はおかしな映画を観た。「チャーリー・モルデカイ 華麗な名画の秘密」という2015年の映画である、主演はジョニー・デップ。


素晴らしくバカバカしい映画であったが、ヒゲの総帥にとっては痛快で愉快なものであった。セリフのひとつにもユーモアが詰まっていて、何度も頭のなかで反芻させては思い返して笑うという具合だ。そもそもジョニー・デップという俳優はカリブの海賊の親玉になる前はとんでもなくバカバカしい映画や理解不能な一見して無駄に思える映画に多数出る人だった。そのひとつひとつがこの俳優の並みならぬ力量を如実に物語っていた。


ジョニー・デップ主演の映画でヒゲの総帥は何が一番好きかと問われれば、「エド・ウッド」であると即答する。監督はジョニーとはコンビを組むことの多い、ティム・バートン監督。実在した史上最低の映画監督の伝記的な映画であるが、この俳優の魅力がふんだんに詰まっている。


カメレオン俳優とも呼ばれるジョニー・デップであるが、実際のところそれほど演技の振れ幅は広くはない。根本にある三つほどのキャラクターを映画によって使い分けて、細部のディティールを変更修正したりして対応しているのだ。つまり、職人芸なのである。三つの大工道具しか持たずに砂漠の宮殿を作ったり、冷たい監獄を作ったり、無人島の密林のなかにある高床式住居を作ったりするわけである。


ジム・ジャームッシュが監督した「デッドマン」など退屈な映画でヒゲの総帥は三日ほどかけてやっと一本を観たという具合だが、どうにもジョニーの演技が記憶に染みついている。彼自身が監督した「ブレイブ」も退屈さでは劣らずといった具合だが、より深みの出る演技をしていた。もちろん「妹の恋人」での一切退屈しない存在感や「ギルバート・グレイプ」や「シザーハンズ」での印象的な物憂い表情も忘れてはいけない。


どうして急にジョニー・デップ談義になっているのか、このブログをお読みの大半の人はわからないであろう。そういう気分なのだ、それ以外にない。もちろん仮想通貨に関しての何らのヒントもない、仮想通貨の情報をもらおうとして会ったこともないのにFacebookでヒゲの総帥に友達申請してくる人たちに告ぐ。


ファック・ユー。


先日、冷泉の喜楽鍋の席上において、ヒゲの総帥は自分の根底にはいつもジャーナリズムがある。好奇心をもったが最後、どうしてもそれを突き詰めないと気が済まない。つまり、それによって自分の人生が振り回されているのだという。それをふんふんいいながら聞いていたチンピラの男は「もしかして、胸にGONZOって書いてるんちゃいます?」と笑いながらヒゲの総帥に投げかける。だが、それに同席していた誰もが「?」となる。チンピラの男は「えっ!ほんまにGONZOを知らんのですか」と驚くが、誰も知らないのでお手上げというものだった。


チンピラの男がいう「GONZO」というのはジャーナリストのハンター・S・トンプソンのことだ。ジョニー・デップが彼の役になり「ラスベガスをやっつけろ」という映画に出ていたことをチンピラの男は説明して、やっとのことでヒゲの総帥は誰のことをいってるのか理解できた。


GONZOというのはジャーナリズムの異端であり、客観性が求められるジャーナリズムの対極に陣取る。自らを取材対象の中に投じてその本質を伝えることを重視するというスタンスのことをGONZOという。あの映画のジョニー・デップの静かにまくしたてる、そのジャーナリスト風の喋り方は凄かったなと思い返していた矢先に昨日の映画である。




まず事実をつかめ、それから思うままに曲解せよ


マーク・トウェイン



情報先行型の昨今、そんな生き方が今は必要とされているのではないだろうか。難しいことを難しい言葉で語ることは誰にでもできる。難しいことをそのまま内容を省かずに平易に語れることが、真のジャーナリストであり、偉大なる先駆者なのである。



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# by amori-siberiana | 2018-02-05 19:41 | 雑記 | Comments(0)


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