「よろしければ、画廊喫茶フレイムハウスというお店のお名前を変えていただきたいのです」と女はいう。


「つまり、フレイムハウスという同じ名前の店が隣同士にあることで、今後なんらかの弊害があるとか、見込まれるということですね?」と、ヒゲの男は女に伺う。


「はい、お互いに、していることが多少違いますから」と女はいう。


「なるほど、よくわかりました」とヒゲの男はいい、チラと厨房にいるこちらもヒゲの男である版画家の柿坂万作さんのほうを見る。




…さて、時間はこれよりも4時間ほど逆戻る。




いつものように北浜のオフィスに顔を出してコーヒーを飲みながら仕事をこなしていると、一件のメールが入ってきている。


文面は丁寧であり人懐っこい。最近、隣のフレイムハウスに顔を突っ込んでるヒゲの男に対する若干の様子うかがいと、彼女自身の奥に秘めた何かを感じさせる情感豊かなもの。


差出人は画廊喫茶フレイムハウスの隣にある、サロン喫茶フレイムハウスのオーナーからであった。


いはく、「本日の14時00分、画廊喫茶フレイムハウスにて、今後の良い関係のために三人でお話しをさせてはいただけないか」とのこと。前日までは伝言ゲームを介して、面会するつもりはないと断っていた偏屈なヒゲの男も、大先輩からの直接の連絡とあれば断る道理もない。


ヒゲの男はメールを返信する。


「よろしくお願いします。今後の良い関係という部分に何があるのか気になりますが」と、言いたいことを言っておく。


昼過ぎ、北浜のオフィスを出る。隣のサロン喫茶フレイムハウスのオーナーの印象を想い起しながら、近くの花屋に入り、そのイメージのままの花を活けてくれと花屋のオーナーに無茶をいうが、快く引き受けてもらった。店内には久しぶりに聴く、サンボーンのサックスが小気味よく鳴り響く。


「サンボーンか…、これは有線ですか?」


「いえ、私のものです」


「このアルバムの最後の曲が好きなんですよ、若い頃、それこそCDがダメになるほど聴きました」


「そうなんですか」


まだ、14時00分までに時間があるので最後の曲を聴いてから花屋を出ようと考えた。若い頃に聴いた馴染みのアルバムというのは、自然と曲順まで覚えていて、次の曲がはじまってもいないのに、脳内で期待再生されているものだ。


ところが、全然、違うミュージシャンの曲がかかった。いよいよかという期待値の株価は一気に下落して唖然とする。花屋のオーナーがいうには、iPODをシャッフル選曲にしているのだそうだ。


花を買ったのなんて何年ぶりだろうか。そんなことを考えながら、ヒゲの男は堺筋の大通りを車の進行方向とは逆に、南へと歩いていく。


店に到着して、そのまま花をサロン喫茶フレイムハウスへ持ち込み、改めて簡単ではあるが挨拶をさせていただく。オーナーも喜んでくれたようで、なによりだ。兎にも角にも、女性に花を渡すというのは、なかなか気恥ずかしいものだ。幾つになっても慣れない。


花を渡し終わったあと、階段をのぼり、締まりの悪いガラス戸を押す。そういえば、自分もこのドアを最初に開けたとき、店内の情報がまったくなく、どれほど不安だっただろうかと思い出した。


ゴガッ。


ちょうどオムライスの仕込みをしていただろう版画家の万作さんの尻が目の前に現れる。筋肉質のデカい、これぞ百姓といった具合の尻だ。この尻の持ち主が夜な夜な三階のアトリエにあるプールで、ぷかりぷかり浮いているのかと思うと、なかなか気色悪い。


「あれっ!阿守さん来た!ワシはてっきり逃げ出したもんやと思いました!」と版画家は素っ頓狂な声を出す。


「あのね、あなたのそういう発想どうにかなりませんか?逃げるとか追うとか、そういうことじゃないでしょうに。隣のオーナーさんから僕のところへ直接連絡があったので、それで来たのです」


「うわぁ、ほんまに三人で話しするんですか」


ちょうどランチを楽しんでいたであろう、不思議な女はそのやりとりを聞いて、いたずらっぽい顔で黙ったまま苦笑し、午後の仕事へ戻った。


14時をほんの少し回った頃、隣のオーナーさんがやって来る。お土産に立派な梨をもってきてくださった。万作さんは、このタイミングで?というところで厨房にて食器を洗いだし、こちらの方へは一向にやって来ない。万作は逃げた。


足踏みオルガンの隣のテーブル、それを挟みこむようにサロン喫茶フレイムハウスのオーナーと、最近北浜に出入りしている、得体の知れない阿守という珍しい苗字を持つヒゲの男が座り、ゆったりと話しだす。


オーナーの女から画廊喫茶フレイムハウスの歴史が語られる。ヒゲの男はたまに合いの手や質問を入れながら話しを聞く、万作はやたらに食器を洗う。


「そういった経緯がフレイムハウスにはあったのですか」


「万作さんとか、他のお客さまからとか、何も聞いていらっしゃらなかったのですか」


「いえ、もちろん多少なりとも聞こえてくることはありましたけれど、やっぱり他人さまのいうことですから、まったく頭に入れていませんでした」


ヒゲの男は、噂というものを毛嫌いしている。それは本人が以前に「噂」や「伝言」の本質に関わった仕事をしていたからかも知れない。とにかく一切の信頼を置くことはないと心に固く決めている。その割に、妄想は得意だったりするから、わからないものだ。


「それで、今後のお互いのためにどのようなことを望まれますか。あなたとは面倒な腹の探り合いをしなくて済みそうだから、僕としてはありがたいのです。単刀直入にお話しいただければ幸いです」とヒゲの男は聞く。


オーナーの女はそのことばを聞いて、微笑んだあと、こういう。


「よろしければ、画廊喫茶フレイムハウスというお店のお名前を変えていただきたいのです」と女はいう。


「つまり、フレイムハウスという同じ名前の店が隣同士にあることで、今後なんらかの弊害があるとか、見込まれるということですね?」と、ヒゲの男は女に伺う。


「はい、お互いに、していることが多少違いますから」と女はいう。


「なるほど、よくわかりました」とヒゲの男はいい、チラと厨房にいるこちらもヒゲの男である版画家の柿坂万作さんのほうを見る。


万作さんは相も変わらず、ひたすら食器を洗っている。


そんな万作さんの後ろ姿を見ながらヒゲの男は口を開く。


「サロン喫茶フレイムハウスのお客さまから、隣にもフレイムハウスがあることで何らかの混乱があったり、こういったデメリットがあったという苦情でもありましたか?」


「いいえ、そういうことはないんです。ただ、先月、警察が来たときのことが怖くて」


そういえば、僕が画廊喫茶フレイムハウスに関わる前、7月の初め頃であっただろうか。店内で打楽器も入ったジャズの演奏を遅くまでしていると、警察がやって来たのだと万作さんから聞いたことがある。近隣の住民から警察へ騒音の苦情が入ったのだろう、音楽は使いかたを間違えば、演奏者がどれだけ愉快だろうと聴衆がどれだけ熱狂しようとも、それはただの迷惑になるのだ。当然のことだ。


なので、ヒゲの男は打楽器を使う際には、必ず隣接する下の店舗へ頭を下げて協力を求めている。そういう当たり前のことをしてこなかったのは、万作さんの万作さんならではの欠点である。


警察が最初に連絡をいれたのは、フレイムハウス違いの隣のオーナーさんのところだったとのこと。「いえ、うちじゃないです、違います」と、隣のオーナーさんは万作さんに連絡を取ろうとするが、万作さんは携帯電話を持ってはいるがタイムリーに受信することは、ほぼ、ない。


今はまだいいが、今後なにかがあったときに「フレイムハウス」と名前がでると、自分の店が風評被害を被ってしまう不安があるとのこと。その理屈もよくわかるし、同感だ。


そもそもヒゲの男がフレイムハウスに冷蔵庫を買ったのも、放っておいたら今後なにかが起きそうな気がしたから、毎夜のように夢に出てくる断末魔となったお客の叫び声を打ち消すため、その一心であった。


万作さんにそのことを話すと。


「これまで大丈夫やったんで、なんとかなるん違いますやろか」と平然とする。


これまで「大丈夫」だったことが、今後の「大丈夫」に関して一切の確約にならないことは誰でも知っていることだ。


「至極、正当な言い分です。ただ、店の名前を変えるかどうかの最終的な判断は僕ではなく、万作さんにお任せすることになりますが、構いませんか?万作さんはどう思われますか?」


厨房から出てきた版画家は口を開く。


「うーん、ワシはそないにこの店の名前に執着しとりませんので、変えたほうがええんやったら変えますけど、姉さん(隣のオーナーのこと)がつけた暖簾をほんまに変えてもええんですか?」


「はい、構いません。暖簾を新しくすることで費用が必要なのなら、私が新規開店のお祝いということでお金も出しますから」


ヒゲの男がいう、「どうして、これまでそういう話しをお二人でしてこられなかったのですか?」


「万作さんとは言葉が通じないときがあるんです、いつも誰か通訳が必要で…」と伏し目がちに隣のオーナーさんはいう、これはさすがに大笑いしてしまった。


「わかりました、では、変えるという方向で検討させてください。最終的なお返事をするまでに時間的な猶予が欲しいのですが、構いませんか?」


「それはもちろんです、よろしくお願いします」


「他に何か要望があれば、今のうちにおしゃっていただけますか?」


「他に…、そうですね、このお店にあるテーブルとか椅子とか、処分しなければいけない状態になったときには、一報をいただきたいのです」


「つまり、このお店が潰れたときの話しをされているのですね?」


「失礼ですけれど、そういうことです」


「言いにくいことを、ズケズケとストレートに何でもおっしゃってくださるので助かります、見事です」とヒゲの男は久々に爆笑する、隣のオーナーも一緒になって笑う。


会談は終わった、とても有意義な時間であった。僕が隣のオーナーであれば、彼女と同じような不安を持っていたことだろう、ただでさえ不安感を持っていた店に新しい男が入りこんできて、北浜を自治・独立させるなどと言い出したりする。冗談なのか本気なのかわからないにしても、厄介な隣人であることに変わりはない。


共存共栄のために店の名前を変えることがベストなのであれば、是非もなし。結論は来週の火曜日までに出すことを画廊喫茶フレイムハウスの二人は彼女に約束した。


その夜。


常連の不思議な女がヒゲの男にこういう。


「あもあも、新しい店の名前でこういうのどうかなっていうのがあるんだけど」と落ち着いた声でいう、しかし、彼女の目がいたずらっぽく笑っている。


「どうぞ、おっしゃってみてください」


「フレイム喫茶 画廊ハウス」


「別にそれでもいいんですけれど、それでサロン喫茶フレイムハウスのオーナーさんが納得してくれますか?」と笑いながらヒゲの男は、横のテーブルに座っていたサロン喫茶のオーナーさんを見やる。


昼夜にかけて来店していただいた隣のオーナーさんは何も言わずに苦笑する。


「オーナーさんがお昼に帰られてから、万作さんと二人でアイデアは幾つか出してみたんですよ」


「例えば?」


「画廊喫茶、魑魅魍魎とか、画廊喫茶、百鬼夜行とかですかね」


「ボク、その名前だったら絶対に店へ入らなかったですよ」と発言するのは、久しぶりにお店にやってきた、ニューヨークで高校生活をするジャックという少年であった。明後日には夏休みを終えてニューヨークへ戻るとのこと。


緑の手袋をした私のフィアンセという曲を延々と演奏していた彼だ。


「若い子がみんな、ジャックのようだったらいいのに」と漏らすのはガルパンの男、そのことばを感慨深げにうなずき、同調の意を示すのはグラフィックデザイナーの男。


ジャックは質問ばかりしてくる。そして彼の質問はいつも本質をついてくる。それが彼の生来の資質なのか、それとも周囲の環境に恵まれたおかげなのかはわからない。とにかく彼の質問に答えるというのは、ヒゲの男にとって自分への問いかけであったりもする。


ジャックに、ひとつの話しをした。


若い王様が善良な治世をするため、賢者を世界中に派遣する話し。


賢者たちが世界で見聞したことを10000冊の本として王様のもとへ持ち帰るが、王様の都合によってどんどん要約されるよう指示される、10000冊が100冊になり、100冊が1冊になる。そして最後には一言になるという、ヒゲの男が長年にわたって好んで用いる話しだ。


「めっちゃ、気になりますね…」とジャックはいう。


ジャックは冬にまた北浜へ帰ってくるという。まるで渡り鳥のようだ。ヒゲの男には、内容は残酷だが、大好きな渡り鳥の話しがある。それはまた冬に話そう。


ジャック、結局最後まで本当の名前は教えてくれなかった。知りたいわけではないが、何がどうなってジャックと呼ばれるようになったかのプロセスには興味がある。


本名が伊藤若冲とか瀬戸内寂聴のような、「じゃく」の発音が入っているのであれば、ちょっと本名を聞いてみたかった。


昨日はどこかからいらしたお客さまが、店のトランペットに油を差してくれたのだと万作さんが教えてくれた。誇らしそうにラッパのピストンを動かす万作さんと、潤滑油により自由を得たラッパは、隣り合わせのフレイムハウスの新しい幕開けを高らかに鳴らそうとするのであった。


万作さんは頬に息をためて、一気にラッパを吹く。


ブーーーーーっという不細工な「ド」の音が店中に響いた。


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# by amori-siberiana | 2017-08-30 13:01 | 雑記 | Comments(0)


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