2017年11月27日(月)③ ◆私は機会があれば飲む。時には機会がなくても飲む。

こんにちは、北濱にある猫のひたいのように小さな店。クントコロマンサ(旧名:画廊喫茶フレイムハウス)を版画家の柿坂万作と経営するヒゲの総帥こと、阿守のブログです。


さて、昨日のこと。


ヒゲの男は昼に店へ行く。この日は事前に昼からランチをしたいという予約のメールが入っていたのだ。正直、日曜日の昼というのはヒゲの男からしても店が開いているのか閉まっているのか判然としない。すべては版画家の万作の気の向くままというものである。なので、この日は事前に日曜日の昼は店を開けておくようにとヒゲの男は万作に願い出ていた。

店に行くとすでに、予約者とは違い、組長が来ていた。ヒゲの総帥は昼間からウイスキーをストレートで飲みながら組長と話す。南北に伸びる堺筋はいつもの日曜日のままに静かであるが、隣にある同じように南北に伸びる御堂筋は大阪マラソンなる活動で忙しくしている。あらゆるところで交通が分断されて、車のみならず自転車や歩行者も下手をすれば通行禁止ばかりで市中引き回しの目に遭うこともあるのだ。


組長が口を開く「世の中、なんか変やね」と、ヒゲの総帥も「どうにも変ですねえ」と同調する。「好きで走るんはええけれど、走った先に感動がとかメディアが煽り立てるんは気色悪いな」と組長がもっともなことをいう、「走ったあとに、走る前の自分と違う自分がいるのは当然ですからね、走るのは移動ですから」とヒゲの総帥もえらく斜に見た感想を面白がっていう。


組長とヒゲの総帥はそこから世の中の変なところを次々にいっていく。「メディアがつまらないですよね。豊田商事の会長刺殺事件のようなのを見て、僕なんかはこういう世界があるんだと闇を実感してましたからね」とヒゲの総帥はいう。「あれは茶の間にいきなりリアルが飛び込んできたもんな」と組長も続く。えらく昼間から二人の男が物騒な話しをしているとき、和装の女が入ってきた。和装の女は訊くところによると、長崎からやって来たのだそうである。そう、予約をくれた女である。


この女が長崎からやって来たことは女が手に持っている「くんち」と書かれた紙袋でわかった。ヒゲの総帥は以前、長崎の地主からなんとかビルを奪ってやろうと画策したことがあり、長崎の歴史や文化についてリサーチを重ねたことがあったのだ。郷に入れずば郷に従えではないが、まず地元の話しができない外からの人間とは商談はおろか会話すらまともにしてくれないものである。結果は失敗に終わったが、長崎のことについては多少、学がついた。くんちといえば、長崎人の魂が燃える瞬間である。


和装の女は「あの人が噂の万作さんですか」と視線で版画家を追いながら、ヒゲの男に質問する。ヒゲの男はそのとおりだと首を縦に振る。どこのどのへんで噂になっているのか知らないが、もちろん彼こそが偉大なる柿坂コロマンサ画伯である。長崎からよくぞ来てくださいましたと、いつもより丁寧な言葉使いをしてみる。


しかしながら、この長崎の女はヒゲの男がシベリアンなんちゃらという詩吟の会をしていた折、会場でよく見かけた顔だぞと思い出す。まさか長崎からその都度やって来ていたのかと本人に問うてみると、家族の仕事の関係で半年前から長崎にいるのだとのこと。ヒゲの男はホッと息をつく。何に安堵したのかわからないが、とにかくホッとした。


長崎の女は店を堪能して一度帰ったが、すぐにまた例の細い階段を昇ってきて土産を置いていった。ハムである。上等のハム。昭和生まれ昭和育ちはハムという言葉に最上の至福を感じるものではなかろうか、戦前生まれが卵とバナナに反応して、戦後生まれがメロンに過剰な反応をするように、我々の世代はハムに過剰な反応をする。いや、ハムは世代を超えたものかも知れない。とにかくこの上なくありがたいもの、献上品として扱われる心的位格のものがハムである。


ヒゲの総帥は以前、ハムの人として有名な俳優のラジオ番組にゲストとして呼ばれたことがある。場所は六本木ヒルズの空に近い階であった、ハムの人に紹介されて何を喋ったのかまったく覚えていないが、とにかくハムの人の体躯が凄まじく良かったことは記憶している。筋肉隆々であるがそれを感じさせないので、イヤらしい見せ方ではないのだ。筋肉をつけるとやたらと見せたがる野暮天がいるが、それは本で得た知識をやたらとひけらかす人間と同じくらい恥ずかしいことである。さすがは舞台で名だたる役を経験してるだけあり、そのスマートな感じにヒゲの総帥は好感をもった。


夜になると、店にはギャラリーの女、常連のガルパンの男、版画家の女とベレー帽の女がやって来る。ギャラリーの女はいつものように飢えている、ガルパンの男はいつものようにスマホの中で戦車を展開させてヘックスを睨みつけている。版画家の女とベレー帽の女はとにかく焼き鳥を万作に注文して食べる。


ギャラリーの女はどうしてもヒゲの総帥に着せたいという服の写真をスマホで見せる。「ちょっと変わった服なんですよ」と言いながら見せてくれた服は、予想の斜め上をいくもので随分と変わった服であった。印象としてはルネサンス時代の服のような配色である。「これ、ホントに僕に似合いますか?」とヒゲは問うてみる。クスリと笑いながらギャラリーの女は「阿守さんなら似合うと思ってるんですよ。着るだけ着てみてください、それを(服の)作家さんに見せたいんです」という。


ベレー帽の女は北濱あたりにある店での上手なワインの仕入れ方について教授してくれる。もちろんそれがどのような策略であるのかここでは書かない、ライバルが多くなると困るのである。


しばらくすると、ヒゲの男たちがいつからかキリギリスの店と呼んでいる南堀江のカフェー(註:カフェではなくカフェーであることが重要)のオーナーの男がやって来る。このカフェーの名前はポルトガルの大詩人フェルナンド・ペソアの名前が冠せられており、そのまま「ペソア」という。ヒゲの総帥はここでワインの味に革命を知ることになり、コーヒーの淹れ方に円周率と比肩するほどのロマンを感じた。ペソアなくしてヒゲの男が北濱でバーに肩入れするということはなかったであろう。


もちろん、将来的にヒゲの総帥が成功すれば、そのキッカケとなった人物としてペソアのマスターは重要な人物である。仮に将来的にヒゲの総帥が破産することになれば、そのキッカケとなった人物としてやっぱり重要な人物であるのが、この男である。とても謙虚な物腰の男で偉ぶるところがひとつもない、常に客を招く心を持つプロフェッショナルである。


「うちのお店は阿守さんのお店に比べると全然すっきりしすぎてますね」とキリギリスのマスターはいう。さらに「最近のバーやカフェは闇がないんですよね」と最も大切なことが平気で口から出てくる。「ここに闇があるとおっしゃっていただけるのですね?」とヒゲの総帥は聞き返すと、「はい」とマスターはいう。万作とヒゲの総帥はキリギリスのマスターから奢られた酒をそれぞれ飲みながら話しをする。


「私なんかはトラットリアとレストランの違いもわかりませんし、ビストロとトラットリアの違いもわかりません、うちの店がカフェーなのかバーなのかと言われれば、そのどちらかもわかりませんし、ある人はお冷が出てくればカフェーでお冷が出てこなければバーである。なんていう人もいるのですけれど」と会話を始めるキリギリスのマスター、店は違えどいつの間にかヒゲの総帥が客になっており、やっぱりマスターはマスターのままでマスターとして話しをするのである。とても独特なセンス、時間の流れ方、空間の感じ方を持っている男なのである。そこには安心感があるのだが、どこかキナ臭い若者がカフェに集まって政府を何かをブチかもそうとしていた時代の雰囲気も持ち合わせている。


北濱クントコロマンサはバーでもカフェでもなく私塾である。ただ、バーかカフェしか選べないとすれば、お冷が出てくることが多いので比較的カフェに近寄っているといえるだろう。いずれにしてもまだまだ完全ではない。


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by amori-siberiana | 2017-11-27 14:51 | 雑記 | Comments(0)


北浜というビジネス街を独立させようと企む、ヒゲの総帥のブログです。
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