【北濱ナンバーワン・ソムリエからみたイギリス公演】◆2006年のある変哲もない日。

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文:タッキー (2006年度の執筆)


◆セットリスト


1.ガヴォット
2.ホエールライダー
3.緑の手袋をした私のフィアンセ
4.ボクの村は戦場だった
5.カトマンドゥ・ノワール
6.柵から逃げ出し逃亡する軍馬の話し



空気が変わり始めたのはリハーサルの後半、ホエールライダーが演奏されたときからだった。


海外演奏のため、通常演奏時に使う楽器が使用できず、イギリスでレンタルした楽器を使用していることや、前日までのハードスケジュールによる疲労の蓄積、不慣れな英語での音響サイドとのコミュニケーションによって引き起こされた演奏内での不具合や、ステージに漂うある種不自然な空気は瞬く間に消え去って行った。


リハーサル中にも関わらず会場内にいた関係者たちからの拍手と、音響ブースから聴こえてきたエンジニアたちの「エクセレント!」という声が、この日のライブの成功を予期させてくれた。


イン・ザ・シティ(ITC)でシベリアン・ニュースペーパーが出演したのは、LATE ROOMというマンチェスターの中心部ピータースクエアからすぐの場所にある中規模サイズのライブハウス。メイン会場であるミッドランド・ホテルからは目と鼻の距離で、音響設備も僕が知る限りイギリスの同規模のライブハウスの中では、かなり恵まれた環境だった。


リハーサルを順調に終了させたメンバーは、本番に備えて近くのカフェで休憩するものや、スタッフに同行して会場周辺でのフライヤー配布を手伝うもの、ITCのプレス陣のインタビューに対応するものなど、本番までのわずかな時間をそれぞれのスタイルで過ごしていた。


スタッフチームが最終の打ち合わせや確認などを済ませ、予定通り19:00に開場したのだが、その時点で入場してきた観客や関係者、プレスは極僅かな人数。


思わずこの先に待ち受けるシベリアンのライブに一抹の不安がよぎったが、ジャパン・ショーケースの一番手であるミュージシャンのライブ中盤あたりから徐々に人は増え始め、シベリアンの演奏開始寸前には1階フロアーにプレス陣と観客、2階フロアーにはITC PASSをつけたヨーロッパ各国のメーカー関係者やブッキングエージェントといった様子で、開場は満員とまではいかずとも、かなりの人の数でうめられていた。


前の出演者の演奏が終わり、シベリアンへのセットチェンジが始まると、日本の公演時にもおなじみのラヴェルのボレロがSEとして流れ始める。実はITCでは原則的にSEの使用は許可されていなかったのだが、リハーサルでシベリアンの演奏を見て納得してくれた会場の舞台監督であるジム氏が、特別に許可してくれていた。


ステージセッティングが終了し、ボレロが緩やかにフェイドアウトしていくと、それにあわせて、阿守のアルペジオからシベリアンのライブは幕を開けた。


1曲目は、これも最近のライブではお馴染みになってきた「ガヴォット」。


同曲名がフランスの古典舞曲の名称として知られるが、シベリアンのガヴォットは古典舞曲として知られるそれとはまた一味違い、緩やかなクラッシックギター真鍋のソロパートとアコースティックギターのアルペジオの旋律から展開が始まり、徐々にシベリアン節とでもいうべきメロディーラインへと繋がって行く。


さらにクラッシックギターのロングソロの後、本来の“ガヴォット”特有のリズムが盛り込まれている所が、羊頭狗肉には決してならない彼ら特有の知的さを感じさせてくれる。


筆者は本番中、ビデオカメラの撮影に集中していたため気付かなかったのだが、この段階で既にオーディエンスの半数以上は、初めて見るこの日本人のバンドの音楽に魅了されていたらしい。その証拠にガヴォットの演奏終了後、オーディエンスからの予想を遥かに上回る熱い拍手が送られた。


このなった時のシベリアンはもう手がつけられない。


2曲目のホエールライダーでは爽やかな立ち上がりから一転、フロアタムのリズムパターンを軸に、まるで海原をうねる高波のようなアグレッシブさで心の琴線に揺さぶりをかけてくる。以前、作曲者である阿守が、「この曲は未だ行ったことのないグリーンランドまでの旅路をイメージした」と記述していたのだけれど、この日の演奏では、このライブが始まるまでのトラブル続きの旅路をシベリアンのメンバー達が波乗りをする様に乗り越えて行くイメージを受けた。



ホエールライダーの演奏が終わった時には既に、会場は遠い異国の地のライブハウスではなく、シベリアンのホームグラウンドのようになっていた。


大きな拍手の音に混じって、指笛をならす音や賛辞の声が聞こえてくる。


阿守がおもむろにマイクを掴みMCを始める、まずはこの場に足を運んでくれた人たちへの感謝の言葉、そして次に演奏する「緑色の手袋をした私のフィアンセ」の曲名を紹介する。オーディエンスが阿守の拙い英語を本当に理解してくれていたのかは不明だが、またもや大きな拍手で応えてくれる。


そして3曲目「緑色の手袋をした私のフィアンセ」の演奏がはじまる。


本日のセットリスト中、唯一のスローバラード曲。メンバーは一人ずつ丁寧に心を込めて音を紡いで行く。後日、阿守とウェールズを旅したときにこの日聞いたこの曲がずっと頭の中で鳴りつづけていた。スコットランドの古い民謡の一部の曲は、蛍の光など日本人の魂にも深く染み付いた曲として知られているが、シベリアンのこの楽曲は逆に、日本人である彼らの情緒感がイギリスの風土や人々に上手くマッチして溶け込んでいるように感じられた。


その後、短いMCを挿み、4曲目の「ボクの村は戦場だった」が始まる。


まさにシベリアンの代表曲として知られる楽曲なだけに、異国でのオーディエンスの反応が気になる一曲だが、メンバーはそんなことはまるで気にしていないかの様に明るく、充実した表情で演奏をしている。


緩やかで叙情的な第一部は、これ以上ない程に優しく、激しくエモーショナルにかき鳴らされる第二部はこれまでに見たことがないほどに感情的に演奏されていた。直接的な「歌詞」というものを持たない分、シベリアンの音楽は言葉が伝わらない異国の地でも、日本と変わらずオーディエンスに彼らの思い描く風景が伝わって行くようだった。


この曲の曲名はアンドレイ・タルコフスキが監督を勤めるロシア映画の邦題として日本では知られているが、英国での映画タイトルは「My name is Ivan」と名付けられていた上、阿守の紹介した英題は「My village was a battlefield」だったため、オーディエンスに同名映画との関連性は感じられなかったと思われる。


しかし、その部位に語弊を交えずにシベリアンが思い描く―ボクの村は戦場だった―というタイトルに基づいたこの楽曲のストーリーは伝わったのではないかと勝手に解釈している。


余談になるが、このツアー中に阿守がふと漏らしていた「オーディエンスや業界関係者たちが自分たち(シベリアン・ニュースペーパーとはどういう意味かなど)を理解するために宗教的な意味合いや、政治的な意味合いを求めていくことに不安を覚える」という言葉が、この場限りでは無用の心配に思えた。


どのようなタイトルを楽曲に付け、どのようなアーティスト名を名乗り、どのような経歴を持ちえても、このように自分たちが生まれ育った環境とかけ離れた土地で演奏するときには「そこに存在する音楽」以外は関与しようがないのだ。彼らの、時として意味不明な言動や、詳細不明のプロフィール、実態の見えないバンド組織などは、ライブに置いて彼らの音楽を感じる上では重要な要素ではないのだ。


「ボクの村は戦場だった」の演奏終了後、このライブ中に初めて後ろに振り返ったのだが、いつの間にか会場に存在する人の数は大幅に増えていた。撮影中にカメラのフラッシュが若干うっとうしかったのだが、その理由も判明した。


演奏終了後に毎回送られる拍手はその大きさを曲毎に増していっていたし、入場口の階段に待機するガードマンまでもが熱心にライブを見てくれているのが嬉しかった。


この後のMCでは、ついに阿守の英語力に限界がきたのか、カンペを使ってのMCだったが、ぶっきらぼうに「どうせわからないのだから」といったノリで日本語のMCを行うような暴挙を行わず、あくまで少しでも伝えようとする姿勢は逆に好感をもってもらえたのではないだろうか。


そして演奏された「カトマンドゥ・ノワール」。


導入部の演奏が始まったとき、胸に手をあてて周りのメンバーの奏でる音を誰よりも気持ち良さそうに受け入れているコントラバスの山本や、その前で目を閉じて瞑想した様に見えるディジュリドゥのタラを見ていると、このライブを誰よりも楽しんでいるのは彼らシベリアン自身なのだと思った。ダイナミクスのあるサビの部分に入るとメンバー全員が本当に嬉しそうな顔をして演奏している。


彼ら一人一人に思うところはあったのだろうけれど、そんな彼らの幸せそうな表情と、そこから生まれる明るく全てを包み込んで行く様なメロディーに酔っていると、気付かないうちに涙が流れていた。この場に立ち会えた幸せとステージ上のシベリアンの姿から得られる誇らしさとで満ちあふれていた。


2コーラス目のサビの部分で、ヴァイオリンのメロディーが通常演奏時とかなり違う方向に流れたのだが、後に聞いた話ではこの日のライブの異常なテンションと集中力で演奏していたことによって酷使されていた、(土屋の)指がつってしまったらしい。


しかし、本番中には微塵もそんなことは感じさせずにすぐに調子を取り戻し最後まで素晴らしい演奏を聴かせてくれた。


会場のテンションはまさに最高潮の状態で、ラスト1曲「柵から逃げ出し亡命する軍馬の話し」を残すのみとなった。


阿守がMCでもう一度感謝の気持ちと最後の曲名を紹介する。


メンバー全員が見つめ合い、軍馬のイントロが始まる。


コントラバス山本がパーカッション平尾とイントロ中に目をあわせて驚いた表情で笑い合っていたが、それもそのはず。


この日の軍馬は完全に異常なテンポで始まろうとしていた。


イントロが終わり阿守の掛け声から本編が始まるが、予想通りの超高速バージョン。そこにメンバーのハイテンションなグルーヴが加わり、まさに「柵を蹴り破ったうえ、ヨーロッパ全土をノンストップで駆け抜けて行く軍馬の話し」といった感じの演奏だ。


曲の序盤では、楽しそうに演奏していた面々もラストに近づいて行くにつれてどんどんと限界に近い切迫した表情へと変わって行く。途切れそうなギリギリの体力と集中力の中で、奇跡的に演奏は凄まじいグルーヴを持続させていき、シベリアンのメインテーマである「悲劇的ではなく焼けつくようなやつさ。革命に必要なリズムとは」という言葉を実践しきってライブは最終楽章を終えた。


一度目のお辞儀を終えても鳴り止まない拍手と歓声のなか、二度目のお辞儀をしてステージを去る彼らの横顔は、喜びと達成感に満ち溢れ、それを見送るオーディエンスの表情は、満足感とこれからシベリアンが巻き起こしていく事象への期待感で充足しているように見えた。


ステージを終えた楽屋裏でヴァイオリンの土屋雄作はこう言った。


― まだまだこれが僕たちの革命の出発点ですね ―


こうして、シベリアン・ニュースペーパーの初の海外演奏は幕を閉じたのだが、波瀾万丈な彼らはこの後、帰り道のヘルシンキの上空で死の恐怖を味わうことになる。




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【イギリス人の音楽評論家からみたシベリアン】◆2006年のある変哲もない日。



日本語訳:ドクトール山本



我々には彼らがどのような音楽を奏でようとしているのかは知る由もなかったのだが、彼らの30分間の演奏によって、会場にいた全ての人々は身動きがとれないほどに驚愕させられることとなった。


ライブが終わった後、我々は彼らがどのような音楽を目指し演奏していたのかを検討したのだが、きっと彼らが作り上げたものは我々が想像しうる全てだという結論に至った。


ありとあらゆる楽器を使い、オーケストラ的な複雑なアレンジを施している彼らの音楽は、大げさな表現になるが、地球上の音楽全てを内包した物だ。


中世のイングランド民謡のメロディーに絡まりつく北アフリカ地方の熱狂的なリズム。スパニッシュギター、アボリジニーの気怠いディジュリドゥの音。


GODSPEEDのような広角映像的なポストロックと、カナダの現代音楽的要素。また、Sigur Rosの氷河期の北極のような音の波に、Durutti Columnの様なクラッシック要素を含んだポップミュージック。


あるところでは荒々しく躍動的であり、またあるところでは陰鬱な風景画のようでもある。


それでいて彼らの音楽は首尾一貫しており、よく考えられ、一切気取ったところもない。


この驚くべき7人の若い音楽家たちは集中した演奏の合間にお互いに微笑み合い、演奏の終盤にかけて行われたMCでは、あっけにとられていた我々に対し、少し恥ずかしそうにたどたどしい英語でこう言った。


― この場で演奏することは我々にとってとても誇らしいことです ―


なにをいうか、SIBERIAN NEWSPAPERがこの場で演奏をしたことは、我々にとっての誇りである。


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by amori-siberiana | 2018-07-28 13:30 | 雑記 | Comments(0)


北浜というビジネス街を独立させようと企む、ヒゲの総帥のブログです。
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