2018年11月3日(土) ◆日曜リンクス、趣味のじかん。我ら、山賊。

ヒゲの総帥の父親は個人事業主であったが、随分と風変りな男であった。一度、今風にいえばスタートアップによって自動車事業にて法人成りをしたが、すぐに廃業をすることとなった。子供だったヒゲの総帥にはいまだにどういった経緯があったのかわからないのだが、大々的に「阿守商会」と新聞広告に討ってでたときのことは、うっすらと記憶に残っている。


母も父の家業を手伝うこととなり、ヒゲの総帥も子供ながらに慣れない手つきで父の仕事を手伝っていたが、すぐ飽きてやめた。面白そうだからというよりは、母が猛暑の中で働くのを少しでも早く切り上げさせたかったという心情のほうが勝っていただろう。


事業が失敗に終わり、父は働かなくなった。母が外に働きに出て一人で生計を支えるというのが6年ほど続いたであろうか、母が次第に潰れていくのが子供ながらよくわかった。今でこそ「地獄のような6年」と母は苦笑するが、子供心にいつ破綻してもおかしくない家庭環境に胸が苦しくて眠れないが続いた。目を閉じて、次の朝、目を開けると母が自分の隣から消えてしまっているような恐怖感があったのだ。


家のローンも払えず滞納するようになり、学校で必要なお金すら親からもらいにくい状況が続いた。よく考えてもそんなに長い期間ではなかったのだが、ヒゲの総帥の記憶のなかではその先の見えないトンネルのような闇の時間が小学生における記憶の大半である。


いよいよ、もうどうにもならないというとき、母は父に「もう家を手放すしかないで」と伝える。「好きなようにしろ」と父は返答する。想像だがこの両者の視線が混じりあうことはなかっただろうと思う。仕方がない、どうしようもない状態なのであるから。本当に仲の悪い夫婦であった。それが原因であまり友人を家に連れてきたくなかったのだ。


ほとんど空っぽの通帳を持って、子供を連れて実家に帰る選択肢をとろうとした母だが、そのときはまったく考えていたことと逆のことをしたという。印鑑と通帳をなんにもせず絵ばかり描いていた無職の父に渡したのだ。それがないと完全な無一文である。


「あんたに全てを預ける。それでどうにもならんかったら、死のう」


父は何も言わないままか、「おう」とだけ言ったのか判然としないが、それを受け取ったのだという。


そんな話しを今年になって初めて母は息子であるヒゲの総帥に教えた。「そんなやりとりがあったのか・・・」と息子のほうは真剣に我が家の列伝を聞く。


父はそこから誰も手を出さないような低収入の仕事を偶然にも人ヅテに譲り受ける。その仕事は牛乳配達である。そんな仕事で家族を養っていけるわけはないと思うのだが、そこに父の得意とする人当たりの良さ(外面のよさ)、つまるところ人たらしたる能力が発揮され事業は当たった。


どんどん顧客を増やしては、さらに配達可能地域を広げていった。人を雇うことに貪欲でなかった父は全てを一人で担う。自然と増加する顧客数に比例して配達時間は早くなっていき、深夜の1時から配達に出て朝に戻ってくるというような生活であった。


いつしか家電は全てが新型になり、どの友人の家よりも大きなオーディオ機器を備え、自家用車はマイクロバスを含めて4台あり、仁尾のマリーナには「潮路」と名付けられたクルーザーまで停泊していることとなった。三か月に一度、JR四国の列車を数両借り切って自分の家の最寄り駅から、行きたい駅までノン・ストップのプライベート列車を走らせるようになる。家のソファーは国鉄時代のグリーン車のシート、家の駐車場には「観音寺駅」の大きな看板が置かれていた。


今、こうして書き出してみても、やっぱりちょっとイカれた環境だったのだなと冷静に感じるのであるが、そのどこかに滑稽なものも感じる。まったく粋だとは思わない、野暮ったくて仕方がないのだが、そういった隙もときには大切なのかも知れない。


「家にお金がまったくなかったのに、牛乳配達用の大きな冷蔵庫とか設備投資のお金はどこから出たのだろうか」とヒゲの生えた息子は母に訊ねる。


「あの人のことは、よく知らん」と母は前置きしながらも、こう続ける「・・・女やな、女がおったからそれが出してくれたんやわ」と。息子のほうはそれを聞いて疑問が腑に落ち、笑いが込み上げる。母も笑いながら「そういう意味では、感謝してる」と苦々しくいう。


なんだか、人間の生き様だなとヒゲの総帥はその一連のやりとりを脳内で反復させながら、自身の曖昧な記憶のイメージと今聞いた言葉を紐づけていく。


人間だ。


そしてここにも風変りな父親がいる。アラタメ堂とファラオである。お互いの共通項といえばボードゲームが好きだということ、その互いとジンクス、そして北濱派の仲間たちが協力しあい出来上がったイベント「日曜リンクス 趣味のじかん」が先日に開催されることとなった。


今回は大幅にスタッフが増員されることとなり、イベント開始前にジンクス内にあるビッグテーブルにて皆が一堂に介した打ち合わせは錚々たる顔ぶれであった。ヒゲの総帥はそれがなんだかオーケストラのようで気味が良かった。普段は何をしていらっしゃるのか解りもしない人間たちが、ひとところに集まり決起する姿はたまらない。


ヒゲの総帥にとってゲームはそれほど重要ではないのだが、この瞬間がたまらないのだ。これから何かを期待してやってくる人たちをどう楽しませるのか、皆で知恵と工夫を即興演奏のように飛び交い合わせて織りなす様は、よっぽどライブと似ている。このライブ感が充足感となり一体感となり、その経験の積み重ねがジンクスがここ北濱に居を構えるという迫力に繋がると信じて疑わない。


最初に飛び込んできた客はオープン時間より前なのに勝手に入ってきた、YU-JIであったが。それもご愛敬である、YU-JIはそういう男であり、そうでなければYU-JIたる由縁もないのである。


ヒゲの総帥の同窓である、らっきょも子供たちを連れて京都くんだりから遊びにやってくる。プロ棋士もやってくれば、プロのギャンブラーもカジノ・テーブルを持ち込んでやってくる、長患いで役所へほとんど顔を出さなくなった元上司もやってくる。黒ずくめのIT参謀こと冷泉はしこたま酒を売りまくり、ジンクスのオーナーであるマンホーはニヤニヤしながらカジノのチップを積み重ねていく。ヒゲの総帥とササモトとゴイチはクイズの早押し機から離れない。中空を仮想通貨ファラオがひらりひらりと舞う。ちらちらとチャイナドレスの女たちがジンクスを往来する。カラカラ笑う男は麻雀を徹底的にうつ。ヌリエは昼間なのに夜の世界の住人のような奴らを伴ってやってくる。ヘルベンツとマギカは虎視眈々と空いたグラスに酒をつぎ足し、アシムと小説家の先生は明かりをつけたり消したり忙しい、宗教画のモデルの女の一人称は「うち」である。


なんと刺激的な場所であろうか。健全たりうるということは、果たしてこういうことではなかっただろうか。


ここはソドムのようであり、神すら嫉妬する場所。地球上で一番魅力的な場所となる6時間であった。たったの6時間ではあるが、北濱ジンクスは彼ら彼女らにとっての首都となり得たのだ。


不思議な話しである。誰よりもゲームを愛するアラタメ堂とファラオはゲームをする暇もなくせっせとゲームの解説や紹介をする。ところがこの二人の顔がこんなに嬉々とすることもない。


最後に、


このウイスキーに呆けたヒゲの総帥のブログを読んでいるかどうかわからないまでも、今回のイベントにご足労いただき、アラタメ堂のことを私たちよりもよくご存知であり、長いお付き合いをしているあなたに謹んで申し上げたい。




あなたのお父さんの存在は、私たちにとっての誇りです。
あなたのご来場を、我々は心よりお待ちしておりました。

足を運んでくださり、ありがとう。




敬具



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◆ファラオの花束 011




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イトマンのスイミングスクールに行ってましたが泳げません。


だから海の思い出はいつも砂浜か波打ち際で遊んでいる記憶ですね。


足が底につかない所は危険です。行かないです。


船に乗っても救命胴衣をまず確認します。


高校選んだ理由もプールがないからです。


離婚する前に住んでいたのは、宮崎の山奥なんで川遊びができるんですね。


ずっと子供たち4人には溺れてもパパは泳げないから助けられないよと言ってました。


こういうのが駄目だったんですかね?

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by amori-siberiana | 2018-11-04 02:40 | 雑記 | Comments(0)


北浜というビジネス街を独立させようと企む、ヒゲの総帥のブログです。
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