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2019年08月08日(木) ◆ラス・メニーナス 

第二話:ラス・メニーナス



イスラエルの映画監督テヘランは椅子に座りぼんやりと景色を眺めている。


「彼は昨日ここへ来たんですけれど、朝早くどこかへ消えたと思ったら、数時間後にまた戻ってきて、そこからずっとああいう感じなんですよ」と宿の主人はいう。


「彼は頭がいいんですね」とヒゲの総帥はいう。


「どうして?おわかりになりますか」と宿の主人はヒゲの総帥がテヘランに向けた評価の根拠を訊く。


「常にイマジネーションを持っています。そういう顔をしています、それだけです」とヒゲの総帥は適当なのか確信なのかどちらかわからないようなことをいう。


ヒゲの総帥とピロシキは宿の女将が最寄りのスーパーまで車を出してくれるというので、そちらへ乗り込み夕食の買い出しへ行くことにした。プラドという大きな車に乗りながら、女将はこの辺で捕れる魚のことや馬鈴薯にはその用途によって畑が違うこと、また自身の私有地への不法な山菜泥棒がいるというようなことを話してくれる。


「例えばそういった不届き者を見つけたりしたらどうするんですか?親父さんが散弾銃かなんかを持って頭を吹き飛ばしますか?」とヒゲの総帥は女将に茶々を入れる。


「そんなことしませんよ。私たちが食べる分くらいは残しておいてくださいね。と優しくいいますよ。まあ、相手はアンタは誰だというような顔でこっちを見ますけれど、こっちからすればアンタこそ誰なんだという感じですね」と女将は笑いながら運転する。


プラドといえば同名の美術館がスペインのマドリッドにある。ここにはベラスケスの「ラス・メニーナス」が置かれてある以外にも、美術史において非常に貴重なコレクションが多数所蔵されているそうだ。行ったことはない。


スーパーでしこたま酒を買う。都合、ここのスーパーには女将がもう一度足を運んで酒を買うことになるのだが、この時点ではそこまで飲むとは思ってもいなかった。


「阿守さん、夕飯にこれを買いなさいよ」と女将は鮮魚コーナーのウニを指さす。「このウニは地のものだから、そんじょそこいらのウニとは違うわよ」と太鼓判を押す。女将に判を押されたウニの値段をみると「4980円」と書かれている。


「地元でもこんなに高いんですか?」とヒゲの総帥は悲鳴をあげる。女将は値段はそんなもんだの一点張り、ヒゲの総帥は女将が折れないとわかると鮮魚コーナーを通りがかった漁師風の爺さんに「ねえ、幾らなんでもこれは高すぎやしませんか?」と訊ねる。爺さんは「これ(ウニ)は上物だからそんなもんだ」という、続けて「あんたはどこの人?」とヒゲの総帥に聞いてくるので、素直に大阪だと答える。


「せっかく大阪から来たんだったら、ここに金を落としていけ!」と豪快に一喝して笑いだす。こりゃあ面白いとヒゲの総帥は爺さんとハイタッチをしてそのまま硬い握手をする。爺さんはひび割れた男らしい手でヒゲの総帥の手をぎゅっと握ったまま、しきりに「頼んだぞ、頼んだぞ、これからは頼んだぞ」と若輩の総帥に発破をかける。もちろん何を頼まれているのか言葉にはできないが、言葉にならない何か重大なことを頼まれたような気になる。


買い物を終え、またプラドに乗って宿へ帰る。新しく4人家族の一行が宿に到着しており、皆で乾杯でもしようかということになるがテヘランの姿が見えない。


「テヘラン、どこ行ったんですか?」と宿の女将に問うと、さっさと二階に上がって寝てしまったという。


「あいつ、死ぬまで飲むっていうたクセに敵前逃亡か」とヒゲの総帥は二階に上がる、テヘランは自分の布団のところで横になっていたが、よく見ると耳にイヤホンをして何かしらの映画を見ている。なるほど、そういうことかとヒゲの総帥は一旦、下に降りる。


4人家族には中学生になる息子と小学生の娘さんがいた。年頃のシャイさと好奇心を持ち合わせた彼と彼女を呼びよせる。


「いいかい、今、二階ではテヘランっていうイスラエルという世界で一番不思議な国から来た人がいるんだ。でも、日本語が全然わからないから僕らに遠慮して下に降りてこないんだ。そこでお願いがあるんだけど、テヘランを僕が下に連れてくるから、身振り手振りでなんでもいいんで質問攻めにしてやってくれるかな?誰だって一人で寝るなんて楽しくないからね」


二人の兄妹は満面の笑顔で「うん!」と答える。


ヒゲの総帥は作戦会議を終えてテヘランを蹴り起こしに行く、「テヘラン!皆で乾杯するぞ!皆がお前がテーブルに来るのを腹を空かせて待ってるんだ」という。


テヘランは「えっ!?そうなの!」という素っ頓狂な顔をしてパンツ一丁からそれなりの格好に着替えて下に降りてくる。


テヘランがテーブルにつくと、先ほどの兄妹は好奇心旺盛なまま、異国の映画監督に自分の興味があることなどの質問をする。言葉なんて使わない、目で会話をするのだ。子供の持つ力と可能性というものには常々、驚かされることが多い。二人の両親も関西出身の人らしく「テヘラン、待ってたでぇ」と気さくにビールを注いだグラスを彼に渡す。宿の主人たちはこの光景を嬉しそうな顔で静かに見ていた。


異国の人はたまにわからない子供の質問に右往左往、苦笑しながらも、なんとか意味を理解しようとして、そして答えようとして工夫する。子供たちも異国の人が自分たちの質問に対して、どのような返答をしているのか理解しようと工夫する。周りの大人たちは、その光景に微笑みながら、茶々を入れたり、ふざけあったり、罵声を浴びせたりと外野を演じている。団欒とは難しい漢字であるが、とても簡単に築けるものだ。


ヒゲの総帥は今日ほどタルコフスキーに感謝をしたことはないし、この日のためにタルコフスキーを知ったのだと言われても構わないというくらい、穏やかで平和と笑顔に溢れる印象的な夕食であった。


ヒゲの総帥はあまりの嬉しさに照れ臭くなってバルコニーに出て煙草を吸う。テヘランも後を追ってバルコニーに出てきて煙草をくれという。好きなだけ吸えばいいのだとヒゲの総帥は自身の煙草の全てをテヘランの持っている煙草の空箱に押し込む。こういう格好いいことはチンピラの男から教えてもらったことだ。彼は常にヒゲの総帥の空箱に煙草を押し付けてくる。しばらくしてピロシキも煙草を吸いにやってくる。


「ピロシキ、煙草を持ってる?」とヒゲの総帥は問う。


「ああ、持ってますよ、どうぞ」とピロシキはわかばをヒゲの総帥に差し出す。ヒゲの総帥はピロシキの煙草を随分とせしめて自分の空箱に放り込み、これでいいと納得しながら一本吸う。


不味い。


久しぶりに自分の祖父が吸っていたのと同じ銘柄を吸ってみたが、こんなに辛くて不味いものかと感想を述べる。ピロシキは苦笑しながら「そんなもんですよ」という。その一連のことに好奇心をそそられたのか、テヘランもわかばを一本くれとピロシキに頼む。気前のいいピロシキは「はいよ!」といって差し出す。


テヘランはわかばの煙をぐっと体の中枢まで吸い込み、すーっと出して「この不味さがタバコという語感と一致するね。そしてこの不味さこそが美味さだね」という。


「タバコの煙というのは、どうやらそれを吸った体内から哲学を吐き出させるらしいぜ」とヒゲの総帥はピロシキの肩を叩いてガハハと笑う。テヘランは胸の前で「何かおかしいこと言った?」とばかりに両手をひっくり返す。


時間はわからないが五右衛門風呂の水が、カルシファーの業によって湯となった頃にはすでにタバコもアルコールも尽きていた。女将はタバコとアルコールをもう一度買いに行ってくるとプラドを走らせてくれる。そのあいだ、我々は風呂に入ることになる。4人家族はそろそろ寝るために自室へ入ろうとする。


ヒゲの総帥は全裸になって宿から五右衛門風呂までの15メートルを粛々と王者のように歩く。レッドカーペットが敷かれてあるかのように歩く。風呂に入り浮かぶ、自身も小さい頃には祖父の家で風呂焚きをしていたことを懐かしむ。そのときの薪を燃す匂いと同じ匂いがあたりに薫っており、その薫りは遠のいていた記憶を一気に手元まで呼び込んでくる。


燃える、するとそれらは炭となる。炭をよく見ると、それが炭になる以前だった姿をほんの少し残している。ところが一日経って、同じものを見るとそれは完全に炭となっているのだ。つまり、燃えてすぐの状態のときはモノにも魂があり、その魂が己の死と闘っており、昔の姿を留めようと努力している最中なのではないかと考えた小学校の夏休みであった。


魂は死に抗えず、一日経てばただの炭となっていたということだ。


地響きをさせてプラドが酒とタバコを調達して戻ってきた。遮るものがないので車のライトが遠くからホラー映画のように迫ってくるのが心地よい。


虫が光のほうにどんどん集まっていく、まるでそこに資本があるのだと言わんがばかりに。


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by amori-siberiana | 2019-08-08 13:01 | 雑記 | Comments(0)


北浜というビジネス街を独立させようと企む、ヒゲの総帥のブログです。
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