人気ブログランキング |

2019年08月08日(木)⓶ ◆ベツレヘム

人には口が一つなのに、耳が二つあるのは何故か?

それは自分が話す倍だけ他人の話しを聞かなければならないからだ。


― イスラエルのことわざ ―




天から役割なしで、降ろされるものは、ひとつもない。


― アイヌのことわざ ―



第三話:



バルコニーでは安椅子にもたれて三人の男が酒を飲んでいる。無数の羽虫が∞(無限)の字を描きながら飛んでいる。日が落ちて随分とたった、海のものとも山のものとも知れない冷気が三人を包み込み、若干の肌寒さを覚えるが、三人はただただ酒を飲んでいる。


「一度、ベツレヘムに行ってみたい」とヒゲの総帥はいう。


「イエスが生まれたとされた場所だね。あそこはパレスチナだ。僕はイスラエル人だからベルレヘムには行けないけどね」とテヘランはブラックニッカのウイスキーを並々と自分のグラスに注ぎながらいう。


なるほど、このヒゲの総帥のような東方の国で隠遁しているような男にも伝わってくるイスラエルとパレスチナの問題を現場で経験しているんだなと感じる。


「イスラエルは実際のところ平和なんですか」とピロシキが訊く。


テヘランはフゥーと息を吹き上げて「平和そのものさ。意外に思われるかも知れないけれど、世界中のニュースで扱われているような緊張感は一切ない。それはあくまで政治的なショーであって、実情とは異なるよ」と答える。


「政治的なショーをしてどんなメリットが?」とピロシキはさらに質問を重ねる。


「金になるんだ。自分も番組制作会社にいるからよくわかる。その辺のことは阿守が詳しいんじゃないか?」とテヘランはどうしようもないというジェスチャーを言葉に付け加えて、多少、はにかむ。ヒゲの総帥を推薦していただいて光栄であるが、この総帥がいかに説明しようとも現場を知る迫力には及ばないので口を結んでいる。


テヘランは遠い目をして星空を見上げる。頭上には夏の大三角からの光がよく見え、その星たちを分断するが如くに天の川がうっすらとヴェールのように、またその名の示すとおり川のようにある。その漆黒の向こうには、こちらからは見えないが、何かからの視線を感じてしまう。その何かを何と呼ぶのかは各人によって違う。


「僕も3年間、軍隊にいた。M16(銃のこと)をこうやって構えてね」とテヘランは話しだすが、そのすぐあと「それについて何も話せるようなことはない、これはシリアスな経験なんだ」という。


「もちろん何も話さなくていい、なあ」とヒゲの総帥はピロシキの方を見る、ピロシキも「うん、それはそうだ」とウイスキーをテヘランのグラスに注ぐ。


M16:これは人を殺すために生まれた道具

M16:メシエ・カタログの第16番目の天体。別名を「わし星雲」といい、この星雲には「創造の柱」と名付けられる暗黒星雲がある。


「山を登ってるそうじゃないか?どこに行ってきたんだ」とヒゲの総帥はテヘランに問う。「ああ、それは大いに綺麗だったけれど疲れたね、大雪山系に登ってきたんだ」と山の眺望を思い出してだろうか、彼の目はキラキラする。


「疲れたといったって、世界中にはもっと疲れる山があるだろうに、特別日本の山が疲れるなんてことはないだろう?」とヒゲの総帥が問うも、どうやら彼は楽をできるところではとことん楽をして山登りをしているので、楽ができない山登りには骨が折れたのだと教えてくれる。


「深田久弥という人を知ってるかい、日本百名山という山のカタログを作った人だよ」とヒゲの総帥はいう、テヘランは知らないと答える。深田久弥はこの分野ではパイオニアである、彼は何かを生み出したのではなく、元来日本にあった山たちをカタログ化しただけなのだ。しかしながら、ここが深田翁の非凡なところで、そのひとつひとつの山に風情ある芸術的な紀行文をつけたのだ。


大雪山:古い5万分の1図幅にも、ヌタクカムウシュペを主にして、大雪山は括弧の中に入っていた。(略)アイヌ名は次第に影を潜めていくばかりであろう。北海道の山名にアイヌ語が存在することは、私たち古典主義者には大変なつかしいのだが、時世の勢いには如何ともしがたいる


トムラウシ山:美瑛富士の頂上から北を見ると、尾根の長いオプタテシケの彼方に、ひときわ高く、荒々しい岩峰を牛の角のようにもたげたダイナミックな山がある。それがトムラウシであった。それは私の心を強く捕らえた。あれには登らねばならぬ。私はそう決心した。


「つまり、作り上げたんじゃなくて、人々に気づかせたんだよ。そこにただあったものが、実は素晴らしいものだったんだって言語化されて価値を持ったんだ。もちろん、それによっての功罪はあるんだけれど、深田翁の登場によってただの山ではなくなったということは明白だよ。これって僕は素晴らしい芸当だと思うんだ。そしてこれこそビジネスの原初風景だと感心したね。その功績はヘロドトスやマルコ・ポーロに値するよ」とヒゲの総帥は話しを進める。


「毎日19時間、働いて、そして4時間の睡眠。それが繰り返される毎日。生活はそこにあったけれど、人生はそこになかった。そしたら、ふと、知らない国に行ってみたくなったんだ」とテヘランはいう。


最初に北海道へ来て、そこから東京へ行ったのだそうだが、東京はとんでもなく酷いところだと感じて、また北海道に戻ってきて今に至るのだとイスラエル人は教えてくれる。


ピロシキは東京の人間である。結局のところ最後の最後まで彼が何をして、どうして北海道を旅しているのか聞きそびれたのだが、正直どうでもいいことでもあった。繋がっておきましょうとか、紹介いたしましょうとかが横行する気色の悪い毎日から解放されているのだから、今はどうでもいいことなのだ。


「阿守がここへ来たのはどうしてだ?とテヘランは訊いてくる。


「なんとなくだ、いつもと逆の方向の電車に乗ったら、ここにいたのだ」とヒゲの総帥は返す。


テヘランは笑いながら、「オー・ゴッド」といった、その瞬間である!


「テヘラン!動くな」とヒゲの総帥。


テヘランは止まる。


「それは誰に向けての言葉なんだい」とヒゲの総帥はいう。


「これ?・・・誰でもない何かだよ」とテヘランは返す。


「そうだ、何かだ。僕は、それを探してるんだ」とヒゲの総帥は我が意を得たりといわんばかりに不気味にニヤニヤしだす。


テヘランとピロシキもこれは何か面白い話しが聞けそうだと、身を乗り出してくる。宿の扉が開いて、中学生がもっと話したいからとヒゲの総帥とテヘランの間の椅子に着席する。


「人はどうして祈るのか?」とヒゲの総帥は静かに皆に問いかける。



d0372815_17111904.jpg





by amori-siberiana | 2019-08-08 17:18 | 雑記 | Comments(0)


北浜というビジネス街を独立させようと企む、ヒゲの総帥のブログです。
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30