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2019年08月15日(木) ◆校長を偲ぶ

お盆である。三豊市詫間町の話しをしよう。先日、テレビで詫間の特攻隊をやっていた、それを見て急に思い出した記憶があるのだ。一旦、思い出すとどんどん溢れてくるのでこれは文字にしておかなければ、また忘れてしまう。忘れるということは、ゼロではないが無かったことに等しくはなる。人類は遺伝子以外の方法で記録することのできる、歴史を持つことができる存在なのだから。その前に小話を。


・・・ベルメハが見つからない。


今から10年前の2009年のこと。メキシコ国立自治大学がユカタン半島にある、地図でベルメハと名付けられた島の調査に乗り出したのだが、そこに島はなかった。島を調査する理由は日本が沖ノ鳥島を延命させるのと同じ理由であり、排他的経済水域の拡大であったことは誰でもわかる。


調査に出かけたジュスト・シエラ号は結局、それらしき島の姿形や痕跡すらも得ることがなく徒労となった。Google Map主流の時代であるが、未だにこうした幻が存在していたことにヒゲの総帥は嬉しさを感じる。北極海辺りでの幻島の情報は多々ある。それは当時の船乗りたちが大型の氷山を島と見誤って記録したり、北限の海に頻発する蜃気楼に惑わされたりということが原因だ。


同じような理由で捕鯨船によって発見された(1876年)サンディ島も2012年の調査で、実在しないということがわかり姿を消した。この島のユニークなところはGoogle Mapにも載っているところである。見誤りというのはそこに文字通り希望的観測が入ってしまうからに他ならないが、かといって希望的観測を否定する気にはならない。


「ヒライス」というウェールズの言葉がある。意味は「かつて自分のまわりにいた人々や故郷へのやるせない郷愁や、まだ行ったことのない場所に故郷を求めるような狂おしいほどの憧れを感じること」とのこと。美しい言葉ではないか、幻島を生み出した原因の一番はヒライスなのではないかと思うほどだ。


日本のお盆という行事もこのウェールズの言葉とまったく違うものではないはずだ。


さて、ヒゲの総帥の故郷の近く。どこからどこまでが故郷でどこからどこまでがそうではないのかの線引きが難しいのだが、同じ三豊市に詫間という風光明媚な町がある。海と山と空と島々がある。春には桜によって染めつくされる紫雲出山(しうんで)があり、浦島太郎の伝説が残る荘内半島の海は人もまばらでキラキラと光っている。今でも「箱」や「生里」などの地名に浦島太郎の名残がある。


ヒゲの総帥の高校時代の友人、ナンザキ君もこの半島の先っぽから高校まで毎日2時間近くかけて自転車で来ていた。往復4時間の長旅を毎日していたのだから恐れ入る。コルシカ島で行われるラリー(車のレース)で曲がりくねったアップダウンの道を見るたびに、ヒゲの総帥はいつもナンザキ君の殉教ならぬ勉強の道を思い出すのであった。


ヒゲの総帥は勉強の道を途中撤退したため、ナンザキ君のその後がどうなったのかは知らない。しかしながらこの道は今でもたまに車で走りたくなる道であり、近いうちにナンザキ君と迎合して、通なればこその抜け道や景色なども教えていただきたい限りである。


この半島の付け根に詫間電波と呼ばれる高専があった。ここではバイク通学が許されており、ヒゲの総帥としてはなんだか田舎のくせに異色の学校があるんだなというくらいにしか情報もなければ、友人もいなかったので詳しくない。ここが第二次世界大戦時に特攻隊の出撃場所となっていたということも知らなかった。それを知ったのは大人になってからだが、その話題がタブーだということを教えられたのも大人になってからである。


テレビを見ながら、詫間電波と特攻隊についてなんとなく既視感を持ちながら見ていたが、突然、自分の記憶にあるものを思い出したのである。


ヒゲの総帥が故郷を離れてからというもの、ヒゲの総帥の部屋にはドラムセットが置かれ、父親の音楽部屋になった。たまに実家へ戻ると日曜日の朝からドンチャン騒ぎがはじまる。


ニルヴァーナと同じ3ピースバンドで、メンバーはドラムに父親、そしてギターにどこかのお爺さん、そしてアコーディオンはヒゲの総帥の小学校時代の校長だった。こいつらはゲートボールのような辛気臭いことは嫌だと、なんの防音設備もない人の家で朝からバンド練習に明け暮れていた。


ヤナカ校長がアコーディオンでイントロを弾きだし、そこに二人が乗っかるという感じのリハーサルを繰り返していた。ヒゲの総帥もメンバーに加われといわれたが、当時メロディック・スラッシュ・メタルを愛していた総帥にとっては、あまりにもBPM(テンポ)が遅すぎて変拍子も速弾きもないので加入を断固拒否していた。


バンド名があったのかどうか知らないが、ここでは仮にバンド名を「無縁仏」としておく。


あるとき、無縁仏がいつものようにうちに集まり練習していると、母親がヒゲの総帥にお茶とお菓子を持って行ってくれという。ヒゲの総帥は無縁仏に差し入れを持っていく、ヤナカ校長は茶を飲みながら今度の町会議員選挙について話しをしていた。長年、校長をしていたので身に染みて話題の展開の仕方が上手であり、常に明快溌剌としたテンポのよい話し方であった。


どうしようもない話題だったとしても、校長が話しだすとそれは校長の話しになってしまい、自分は生徒の気分になってしまうから不思議であった。今となってはこの無縁仏のギグを体験しておけばよかったと多少の後悔もある。一体どのようなとき、どのようなところでライブしていたのだろうか。そもそも父親と20歳ほど年長者である校長がどのようにバンド結成に至ったのかも定かではない。


いつしか、校長がヒゲの総帥が大阪へ行ったあと、総帥の部屋に入り浸るようになっていたのだ。ヤナカ校長はひとしきりアコーディオンを弾き倒したあと、自身の少年時代を語りだした。


「ワシが子供んとき、休みになったらよう連れと一緒に詫間まで行って、飛行機が飛んびょんを見よったわい」


「へえ、あなんとこに飛行機を?」とヒゲの総帥の父親がいう。


「あそこ、戦争ときは航空基地があって特攻を出っしょったんじゃが。ほんだけんど、機密じゃいうことでワシらが見に行っても、兵隊に邪魔やきんあっち行けいうて言われよった。そんときはただの基地やくらいに考えとったんやけど、近所の人らは特攻じゃいうて知っとって噂にはなっとったきんの」と校長は言葉を足す。


そうじゃそうじゃとギターお爺さんも懐かしそうに当時を語る。父親は好奇心旺盛に校長の話しに聞き耳をたてている。


ヒゲの総帥の父親は海軍マニアであり、軍服の収集家でもあったので家は戦史関係の蔵書やどこから仕入れてきたのか特攻隊の遺書のコピーなどで溢れていた。ところが息子にしてみればそれらについて何らの興味がなかったので手に取ることもなかった、そして同じく何らの興味もわからない母親によって、父が亡き後、それらも荼毘にふされた。


「一回だけ、おっけな飛行機が飛んびょるがいうて、ツレと手振ったら詫間の基地に降りんとそのままどっか行っきょるきん、もしかしたらあれがB29かないうて話ししとった」と校長の話しは続く。


「詫間はアメリカが来ても偵察機と飛行艇しかないきん、迎撃できんかったきんな」とギターの爺さんがいう。


「それがいつ頃(何月頃)のことになるんですか?」とは父親の問い。


「ワシらが詫間まで遊びに行くときじゃきん、夏じゃわ。そのまま海に飛び込んで遊んびょったきんの。いや、違うかの。忘れたわ」と校長は首をかしげる。


「とにかく、もっと基地見たいと思ても、絶対に入れんかったきんな。日本中から兵隊さんが集まってきとんは知っとったけど。あそこから飛んで特攻しとったんかと思たら、つらいことさせよったんじゃのと考えるわ。そんでも皆がそれが正しいいうて言いだしたら、それに従わな生きていけんのじゃきん。(特攻について)自分で選んだことみたいにされとるけど、あんなもん他に選ぶ道がないがな。それぐらい異常なことが普通にされとった」


校長は自分が学校の先生になるとき、また、なってから一番気を使ったのが戦争の取り扱いについてだと語ってくれた。


「そら、日本は徹底的にいかんこと、間違ったことをしてしもたんじゃと子供に教えるようにとワシらも再教育された。もうそれ以外に考える余地はないっちゅう感じじゃわ。ほんだきん、今になってこそ(退職したあと)自由にワシはこう思うみたいなことが言えるけどのう・・・冷静に戦争について考えられるようになったんは最近じゃわ」というところで校長は話しを切った。


記憶が正しければヒゲの総帥が小学校2年のとき、ヤナカ校長は教頭から校長になった。前の校長は転校生だったヒゲの総帥の帰り道の心配をしてくれた。柔和で気取りのない人であり、今でも前校長が教えてくれた論語か何かの一節を暗唱することができる。


少年老い易く、学成り難し、一寸の光陰、軽んずべからず


ヤナカ校長は前校長に比べて溌剌とした感じの線が細い人であった。よく「校長の家にはエレベーターがある」と子供たちで噂をしていた、スコットランドの首都エジンバラの旧市街にあるような赤レンガが特徴的な家の外観であったことを覚えている。ヤナカ校長はヒゲの総帥が小学校6年にあがるときに退任して、次の校長はヒゲの総帥の父親の担任だった人が校長になった。


「阿守・・・、もしかしてお父さん観音寺の八幡の人か?」と校長に訊かれたことを覚えている。何かにつけて利通の息子かと目をかけてもらった記憶もあるが、人あたりの良い校長だったので、誰にでもそういう印象を持たれている人かも知れない。


親子二代でお世話になるというのは、田舎ではよくあることである。


これは完全に、自分用の記録としてのブログである。



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by amori-siberiana | 2019-08-15 22:55 | 雑記 | Comments(0)


北浜というビジネス街を独立させようと企む、ヒゲの総帥のブログです。
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