朝起きて、コーヒーを飲んでギターを弾いて、散歩をして傘をどこかに忘れ、戻ってはギターを弾いて、このまま夜になり眠気がくるまでギターを弾くのだろう。こんな休日はあまりにもつまらなさすぎるのだが、それ以外にヒゲの総帥には何らアイデアも工夫もないのだ。そういう日がもう何日も続いている、はやいところ今週末になってくれないかと願っているのだ。まだ外に向ける機会を得ないままの熱量が自己の体内のなかで爆発を繰り返しているのだ。


酒を飲みに出たとしても、どこかへ気晴らしに出かけたとしても、それはただ行動をしているだけであって、頭のなかでは常に音楽だけが鳴り響いていて、心などそこにないのは明白だ。


昨日、ヒゲの総帥は小説家の平尾先生とラジオに生出演させていただいた。DJの神風のオジキとラジオブースに並ぶのはとても不思議な気持ちであった。そういえばヒゲの総帥が世間に対して音楽活動をスタートさせた起点に当時いたのは、このオジキではなかっただろうか。平尾先生も当時と変わらずにそこにいる。フリダシに戻ったのか、それともパラレルワールドを生きているのかと錯覚するような体験であった。


およそ1年前のコロマンサにてエストニアでレストランを経営するマーク・プレスタティンから「それにしても、トラッド・アタックというバンドは強烈ですよ」という話しを聞いた。変な味のウォトカをぐいぐい飲みながらのことだ。


それから数週間後にカコフォニー・フィールズのドイワ会長がオガ教授を連れてコロマンサへやってきた。ヒゲの総帥は「先日のブルガリアボイスも素晴らしかったです。聞くところによるとエストニアのトラッド・アタックというのがヨーロッパで凄い騒ぎを起こしてるそうじゃないですか、是非とも日本に招聘してください。ライブに行ってこの目で見てみたい」とお願いをした。


そして数週間後、カコフォニー・フィールズがワールド・ツアー中のトラッド・アタックを呼ぶという情報を得る。そして役所で働いているヒゲの総帥のところへドイワ会長から電話が入り、シベリアンを復活させてトラッド・アタックと共演しないかと提案されるに至る。断れるわけがない、多分、心のどこか日の当たらない場所でずっとこのときを待望していたのだ。メンバーや周りの人間には感謝しかない。


もちろんそれだけではない、学友であったシュルケンというデザイナーの男からも「貴様、さっさとシベリアンを復活させろ。お前がクソ格好いいのはステージで叫んでるときだぞ」といわれたし、宇宙人からも「シベリアンは近いうちに再活動するわ、いえ、させてみせる」と予言めいたことを言われたりもした。


ヒゲの総帥は怖かった。それは期待外れになってしまわないかという怖さだ。皆が求めているものを下回るものを提供してしまうのではないかという怖さと、面倒くささがあった。面倒くさいというのは自分に対してである。ヒゲの総帥は音楽に取り掛かってしまうと、衣食住はどうでも良くなってしまう悪癖がある。これは音楽を辞めてから自覚したことだ、的確な言葉ではないかも知れないが頭と心がちょっと変になってしまうのだ。そういう自分でコントロールできない自分と付き合っていかなければならない面倒くささがあった。これは音楽の責任ではなく人間的な未熟者から飛来してくるものだ。


今年の最初、敬愛するドロレス・オリオーダン(the cranberries)が死んだ。


敬愛なんてものではない、彼女がいなければヒゲの総帥の音楽性など別物になっていただろう。この天上の宴と地獄の憂鬱(彼女の歌い方は非常に特徴的で、裏声と地声の境界線を絶えず行き来する)という相反した矛盾を一身に抱え込んだような坊主頭の女性アーティストの魅力に取り憑かれてから20年。彼女は死んだ。彼女のデビューから死ぬまで、その時系列を共有したことが唯一の救いである。


サマセット・モームがゴーギャンを喩えたときの言葉を借りれば、彼女にとって表現はまさに地獄の苦しみであったはずだ。そうでなくてはあのように人の心を打つ曲は描けない。だからこそ彼女の気持ちが音楽からプツリと切れたとき、それはCDから伝わってくるものでわかった。しかしながら、そこには地獄と対峙することをやめた一人の女性の物語が存在し、作品として成立するものであったが、彼女自身の納得するうえでの表現の折衷点という気もした。


ザ・クランベリーズの最初のアルバムのタイトルは【Everybody Else Is Doing It, So Why Can't We?】という。


意味は、「誰もがそれをやってるのに、どうして私たちはできないのか?」というものだ。問うている、誰に向かって問うているのか、自分か、他者か、神か、それとも鬼か。とにかく問うているところから彼女はスタートした。


ヒゲの総帥だって同じだ。誰もができていることが自分にはどうして出来ないのだろうかと、何度も何度も悔しい思いをしてきた。そして音楽を辞めて有り体の収入が得られるようになった途端、その思いは消費欲によって誤魔化され、一時的なモルヒネとなり霧散されていくのが、また自分で情けないなと考えたりもした。


ヒゲの総帥は散髪屋に行く。「この女性と同じ髪型にして欲しい」と。「これ女の人、違いまんのか?それにメイクしとりますから、これだけハッキリしとる印象になるけど、阿守さんがしたら、ほんまに坊さんのようになりまっせ」と言われるが、そんなことはどうでもいいからさっさと言われたままに仕事をしろとヒゲの総帥は髪切りに促す。


確かに、ほんまに坊さんのようになった。


それでもヒゲの総帥は、これぞ我が意を得たりとご機嫌に髪切り屋を後にする。


ラジオでも言ったことだが、今のシベリアン・ニュースペーパーを動かしているのはメンバーだけではない。圧倒的多数の仲間が持つひとつの表現ツールがシベリアンであればよいと心より願っている。どのような場面でもどんどんシベリアンを使っていただきたい。


このような新鮮な気持ちで音楽に向き合えたのはどれくらいぶりだろうか。少なくとも10年くらいはなかったかも知れない。沢山の人が自分だけの歌とか自分だけの曲というものを持つようになれれば、どれだけ幸せなことだろうと思う。これが昭和期後半の考え方を持つ人間の意地でもある。


ラジオ出演のあと、カコフォニー・フィールズのゴッドテール君とFM 802のディレクターと打ち合わせをしていると、ラジオからTOTOの「Rosanna」が流れてきた。これはロザンナ・アークエットの名前が冠された曲、彼女の存在はこの名曲とともに世界に広がるであろう。


打ち合わせも終わり席を立ち外へ出ようとしたとき、TOTOの「Africa」が流れてきた。「アフリカだ・・・。すいません、この曲だけ聴いて行ってもいいですか」とヒゲの総帥は一堂にお願いする。「いいですよ」と皆、もう一度同じところに着席する。小説家の先生はヒゲの総帥にとってこの曲がどのような意味を持つのか、もちろん知っている。そして静かに一緒に聴いている。


アフリカにはまだ行ったことがない。賑やかなカンヌの海辺のベンチで考えた。この海の向こうにはアフリカがあるのかと。




人間がこんなに哀しいのに、主よ、海があまりに碧いのです



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by amori-siberiana | 2018-09-30 21:06 | 雑記 | Comments(0)

「それで、あれからどうなったね」


北濱にある酔えないハイボールを提供することで有名な名店「フクビキ」はいつものようにサラリーマンで溢れ返っている。店の奥のテーブルを陣取る4人の男たち。それぞれをヒゲの総帥、ローズ、ボルト、蛇男というそうで、少し前のヒゲの総帥が会社を独立した際の優秀な部下たちである。起業しての三年間で10億円近くは稼いだであろう、それだけ優秀な人間が揃っていたことには間違いない。


あれからどうなったと三人に聞いたのはヒゲの総帥であり、あれからというのはその会社が反社会勢力に目をつけられてからというものだ。


ヒゲの総帥は反社会勢力が出てきた瞬間に退散した、ボルトも呆れて退散した、蛇男はもともと東京の人間でやりたいことがあるとトラブルの前に退社していた。ローズや他の人間はそのあとも法人業務を引き継いだ形で新規法人に転換して仕事をしていたのだという。


「(会社)やりだして、三か月目でしたかね。結局、そこへも反社が乗り込んできて、解散させられましたよ。こっちの代表者が監禁されてね。警察沙汰にしろと僕は言ったんですけれど、どうもなんらかあったみたいで・・・」とローズはハイボールを飲みながらいう。ちなみにローズはヒゲの総帥のブログの愛読者であり、ブログに死神(前の会社の代表)が出てきたときなどは、「アモさん、ぶっこんでくるな」とネットを経由して感じていたという。


退屈しない職場であった。いや、退屈しかない職場だったのかも知れない。常に自分たちで仕事を作り上げていくより方法のない会社であった。ロビイストという仕事は常に対社会的なものであり、発信するひとつひとつの言葉に責任があるのだが、それが上手くいけば宗教以上の説得力を作り上げるが、悪くすると風説流布になってしまうのである。


彼らとチームになり仕事をしたとき、すでにヒゲの総帥は音楽活動を辞めていたので、彼らは聞いたことがない。ハイボールを飲み干しながら彼らに「またシベリアンをするのだ」とヒゲの総帥は伝える。


ローズは「こっそり見に行きますよ」といい、ボルトは「あの曲やるんすか!?俺の一番好きな曲。そうや、パレードや!」といい、蛇男は「僕が聴きたいのは、舌足らずな私ですかね」と宣伝もしていないのにシベリアンの曲のことをよく知っている模様。ヒゲの総帥は「よく知ってるね」と苦笑する。


豚鉄なる辛口の鍋を四人でつつきながら、お互いが持っていた情報を交換する。ヒゲの総帥は語る「僕は失われた会社の金を取り戻すために関連別法人へ潜入したけれど、そっちも汚染されていたので、それ以上のことを調べるためには正確なデータベースのある場所へ入り込むしかないと思って今に至るのだ。結果、ある程度のことは突き止めたけれど最後の最後はやっぱり片鱗すら出てこないね、相手も上手くやってるよ」と手をひらひらさせる。


「もうね、あれは過去のことだよ。追っても身にならん」と言葉をつぎ足すヒゲの総帥。「アモさん、あのときの金はどうしたんですか?とんでもない給料をもらってたでしょ」とローズが聞いてくる、「そんなもんはそんときに使い切ったよ」と放言するヒゲの総帥。ボルトと蛇男は会社からのインセンティブがもらえる状況になかったため、そういった金銭的な恩恵は受けていなく、きょとんとしている。


ヒゲの総帥のこの部下たちは「チーム・オール・キル(皆殺し)」という部署を独自に設けていた。それぞれの長所に応じた役割があった、ヒゲの総帥は世界中のニュースを収集して分析する、さらには投資家の身辺調査のためなら日本全国どこまででも泊りがけで行った。ローズは対話能力と交渉力に優れており、さらにはムードメーカーとしても欠かせないものだった。全ての範囲の業務を一人でできるユーティリティな職人だった。元は名前の通ったパンク野郎であり、その当時の放蕩で珍妙でユーモラスな経験は彼の交渉術へ存分に還元されている。それはチャールズ・ブコウスキーの世界をそのまんま体験したというようなものだ。


ボルトは博識である。とにかく博識であり映画や音楽はもちろん、宇宙物理学や芸能関係などニューストピックスを作り上げるのは大得意である。ところが自身に関しては妙に秘密主義なところがあり、自分のことを聞かれるのを極端に嫌うのである。今では大手通信会社に入社して警察からも「ご苦労様です」と頭を下げられるのだと自慢する。


鳴り物入りでボルトが入社したとき、とにかく古今東西の映画に詳しいというのでヒゲの総帥と映画マニアクイズをしたが、ボルトは敗退した。そして、宇宙ならもっと詳しいというのでヒゲの総帥と宇宙マニアクイズをしたが、それもボルトが敗退した。


ボルトは理に強いので、相手を論破するのはお得意だった。というか、相手が求めてなくとも論戦に持ち込む悪癖もあった。その延長線上で社会現象になるほどの大きな騒動を巻き起こしたこともあるが、そんなこと詳細をここに書けない。


さて、蛇男。この男は読んで字のごとく家に大きな蛇を飼っていたのだ。感情を表に出すことは皆無の男であり口数も多くない、ところが一度仕事中に流血しだしたことがあり、どうしたのかと聞くとピアスの穴を広げすぎて血が止まらなくなったのだという。さっさと病院へ行けと早退だかなんだかさせたことがヒゲの総帥の記憶にある。


とにかく感情論に流されない男なので、世の中のあふれるネットニュースなどのひとつひとつを精査するのに長けていた。自分のなかに「?」が一瞬でも湧けば、なんでもヒゲの総帥に「これってどういうことなんですか。裏で情報を流している人間の思惑はどういったものでしょうか」と毎日のように問うてきていた。とても真面目な男である。今では六本木の有名なバーでバーテンダーとして働きながら賑やかにしているそうだ。


「僕は阿守さんと一緒に仕事をしてたくさん学びました」と蛇男がいう。「どんなとこなん?」とボルトは問う、ローズとヒゲの総帥は鍋から真っ赤になった麺を拾い上げ、自身の椀に入れる。


「なんつーか、こんなに適当でいいんだって、一番はそこを学びましたね。自分にはそういうのなかったですから。それが今の自分に役立ってます」と蛇男はいう。それを傾聴していた三者は爆笑する。それは笑って然るべきところだ、毎日このような感じで命がけで仕事をしていたのだ。リスクマネジメントの部署には随分と迷惑を掛けたことだろう。職場では常にブラック・サバスとクイーンがかかっていた。


一行は場所をフクビキからキューバ国旗のあるシガーバーへ移す。


四人でパルタガスの葉巻をくゆらせる。話しても話しても話題が尽きることはない。これまでヒゲの総帥は彼らと連絡を取り合ったことはゼロに近いものだったが、彼ら同士はよく連絡交換をしているのだという。


ローズがいう、「これまで何度もアモさんのいるところへ何度か顔を出そうとしては、やめてたんです。今のアモさんにとって俺らの存在は邪魔なんちゃうかなと思って」と彼らしい優しい発言である。「そんな余計なこと気にしないで欲しい、どんどん顔を見せてくれ」とヒゲの総帥はいう。ボルトは神戸のライブを楽しみにしているといい、蛇男は東京に来る際は是非一報をくれという。


彼らは素晴らしく誇らしい部下であり、また彼らはヒゲの総帥にとっての先生でもある。


久しぶりにみた彼らの入れ墨や開けすぎたピアスの穴は、ヒゲの総帥にとって故郷の風に触れたような愛着と安心感があった。


やりたい放題に予算を使いまくった変な会社であった。彼らが社員旅行で西表島に行けば、同じタイミングでヒゲの総帥はそれに同行せず北海道の稚内へ行っていた。パソコンひとつ持っていれば、日本の一番北と一番西で連携をとって仕事ができるものだと冗談めかしていた。


「今から僕がやろうとすることに、近いうちにあなたたちの力が必要になることがあるかも知れない。そのときはまた手を貸してくれ」とヒゲの総帥は告げる。


ローズ、ボルト、蛇男は快諾をする。そして闇夜に散る。ヒゲの総帥は北濱の夜道を歩きながらここの店のモヒートはとんでもなく美味いことを確信した。


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by amori-siberiana | 2018-09-24 02:03 | 雑記 | Comments(0)

夏からギャラリー遊気Qにてギターの演奏をしてきたヒゲの総帥。この演奏会が催されてきたことにより、静かにゆっくりとヒゲの総帥はギターという楽器に向き合うことができた。ギターという楽器について詳しくなったというものではなく、ギターと自分の関係性について考えるようになったのだ。ここを工夫してみようとか、ここはこういう進入角度で表現してみたらどうかとか、そういった極私的なものではあるのだが。


ギターという楽器との付き合いは25年になる。つくづく、楽器が弾けて救われたという思いもあれば、これに関わらなかった自分の人生にはどのようなものがあっただろうかと同時に思いを馳せる。無意味なことではあるが、それはまた意味を生じてもいる。


ヒゲの総帥が最初にギターで作った曲はなんだろう、今となっては思い出せないし、ふとしたきっかけで思い出したとしても、とんだ駄作であるのは間違いがない。作った当人がいうのだから、それは正当な評価であろう。


しかしながら、その駄作のうえに今の自分がいることを考えると、この連綿たる必然と偶然の流れに数奇なものを感じる。紆余曲折した人生である、昨日見聞していたことと今日の理解がスマートに繋がらない日々の連続。自分も含めて周囲の人たちの肩書や状況もことあるごとに変わっていく、絶対的な価値などそもそもそこにない。


ギターはただのギターである。ヒゲの総帥が弾くことによってギターはシェエラザードのように物語を紡ぎだす。アモリもただのアモリである。ギターが彼の手中にあることでアモリはただの物体ではなく、マルシュアースのようにアポロンへ決闘を挑むような勇敢さを持つことになる。


ギャラリー遊気Qの場内を暗くしてギターを弾く。そこに人が大勢いるとなんだかとんでもなく昔へタイムスリップしたような気持ちになる。古典的な神託がまだ権力を持っていた時代、どこかの神殿で演奏しているようなアルカイックさを感じながら、ギターを弾く。ちらちらと視界にファラオが入ってくるのも、このイマジネーションに起因しているかもしれない。


これまでお付き合いありがとう。


シリーズ最終夜は「気球に乗って彼の風狂、どこへ行く」と題されている。


入場はもちろん無料。命にかかわらない程度のチップ用の小銭があればそれで十分。是非とも奮っての皆さまのご来場を心よりお待ちしております。



お問い合わせ


takaoamori@yahoo.co.jp



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by amori-siberiana | 2018-09-23 14:26 | イベント | Comments(0)

第三夜が盛況であり、思わぬ実入りがあったヒゲの総帥と自称302才のギャラリーオーナーの女。そして21日には青山ビルにてイベントがあり、外来の客が多いと踏んだ二人はさらなる実入りを見込んで虎視眈々と急遽イベントを打ち立てた。なんたる狡猾さ、いや、なんたるしたたかさ。


名付けて、【アモリのつもり 沈黙(シリーズ全四夜)】。


シリーズ第3.5夜は「無題」と題されている。


入場はもちろん無料。命にかかわらない程度のチップ用の小銭があればそれで十分。是非とも奮っての皆さまのご来場を心よりお待ちしております。




そこにあるのはエアコンとギターと


ギャラリーの展示物とパイプ椅子だけ、


食べものどころか飲みものも出ない。


マイクもなければ


メロディーすらない。


あるのは完全和音と


不完全和音の響きと、ヒゲだけ。


ヒゲの総帥こと


阿守孝夫という男は、


果たしてミュージシャン


といってよいのだろうか。



お問い合わせ


takaoamori@yahoo.co.jp



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by amori-siberiana | 2018-09-23 13:48 | イベント | Comments(0)

ヒゲの総帥は大阪へ帰ってきた。何やら青山ビルの一角を占めるギャラリー遊気Qにて演奏会があるのだという。演奏会といっても会費をとるような本格的なものではなく、己の技術の向上と衆目からの鑑賞に慣れるための予行演習のようなものである。


遊気Qではこの日まで、奈良のギャラリー(アン)から一斉に作品が持ち込まれての交流展が開催されており、その最終日ということで既に芸術家たちが何人か在廊していた。ヒゲの総帥は彼ら彼女らに挨拶をして、そのまま裏へ引っ込み地べたにごろんと転がる。ここ最近、とても疲れやすくなっているなと自身の不摂生を恥じる。


すると星師匠がやってくる。星師匠にはИHKという民放ではないテレビ局から取材のオファーが天文学者を通じて来ていた、師匠は自身にスポットが当たることに驚きながらも冷静に「自分はそういうところへ出たくはない」と断っているのだが、それについての話しをヒゲの総帥とする。ヒゲの総帥は「(あなた)らしいな」と苦笑する。


星師匠はごそごそと自分のカバンから何かを取り出す。


出てきたのは金色の袋に入ったもの、ヒゲの総帥が袋を開けてみると中から30円が出てきた。5円玉が6枚、それぞれリボンで結ばれているのだ。ヒゲの総帥はそれがすぐに六文銭の見立てだと理解した。三途の川の渡り賃である。


三途の川の渡り賃を持って、いつ死んでも悔いのないように、しっかり演奏しろ。という意趣である。ヒゲの総帥は礼を述べて六文銭(30円)を受けとりギターのポケットにしまう。星師匠は泣いていた。


しばらくすると、ファラオがギャラリーへやってきて、ヒゲの総帥が演奏するからと役目でもないのに作家たちとテーブルを運んだり、椅子を用意したりしてくれる。聞くところによるとアラタメ堂のご主人に呼びつけられたそうなのだが、その呼びつけた本人はやって来ない。なんだか微笑ましい、つくづく周囲の人に恵まれているなと感じる。


この日、ギャラリーに入りきれないほどの人が遊気Qへ集まる。詰めて座ってもらうが、ヒゲの総帥の隣に座っていたファラオなどヒゲと「二人羽織」をしだすのではないかという距離感である。6本の弦がなりだす。


太い弦から


C(ド)

G(ソ)

C(ド)

G(ソ)

C(ド)

D(レ)


ヒゲの総帥はこれまでの「沈黙」コンサートとは趣向を変えて、曲のタイトルとその曲をどのように工夫してみたかを誰に頼まれもしないのに語る。そして曲を弾く、それを繰り返す。


以前までガレ風(エミール・ガレ)の卓上灯をすぐそばに置いていたが、いつしかそれも面倒臭くなり出さなくなった。実はそのような演出もそれほど重要ではなかったのかも知れない。


結合させては撹拌させ、吸収しては分解させ、凝固させては溶解させ、転んでは立ち上がり、コピーしてはペーストして、展開しては収縮させて、色気を出しては素っ気なく、ギターをただ紡ぐ。自身の母親が家でずっとミシンを踏んでいたときのように、自身の祖父が畑で作った桃を丹念に仕分けするように、自身の祖母が乳飲み子を抱えて真夏のおり、長蛇の列の最後尾に並び何時間も辛抱して、ほんの少しの食糧配給を受けたときに流れ出た汗のように。


とんでもない数の労苦を礎にして、自分は成立している。それは感傷的というより、やっと事実に目を向け、質量を知り己の無知を確認するという類のものである。画素数や解像度では伝えられないことを、これまでも今も周囲の人たちはヒゲの総帥に伝えてくれている。


悔いなく。


ヒゲの総帥を突き動かしているのは何であろうか、もちろん自分自身ではあるのだが、それだけではない気がする。


以前、ヒゲの総帥が「どこからどこまで切り刻んだら、あなたじゃなくなるのか。つまり、どの部分がなくなればそれはあなたじゃなくなるのか」と妙な質問をしたとき、ゲームセンス・ゼロの女ことアシムがいっていた、「心っすよ」だったか「魂っすよ」だったかという回答は、そういうことなのだろうか。


演奏が終わる。ヒゲの総帥はさっさとフクビキへ行き、店の外を完全占拠している仲間たちと大いにわめき散らしながら酒を飲みだす。


いよいよ「北濱派」を作るのだと。この男はいろいろと支離滅裂であり、突飛なことを言いだすものだから、真剣に受け取っていいのかどうだかいつも人を惑わせる。


ところが本人に至っては、久しぶりに至極まともなことを言ったと平然としている。アラタメ堂のご主人は唐突に脱ぎだす。カラカラと笑う忌部の会社はこの後、また大変なこととなる。


みなさま、ご来廊ありがとうございました。


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by amori-siberiana | 2018-09-20 19:35 | 雑記 | Comments(0)

ステージ上へ最初にやってきたのは、傍目にはシラフではないように思えるリラックスしきったスティーブ・ガッドであった。グレーのTシャツにジーンズ、両腕には彼の象徴でもある刺青。居酒屋の暖簾でもくぐったかのような佇まい、長年にわたり史上最高のドラム奏者として世界を熱狂の渦に巻き込む男はこうしてヒゲの総帥の地元の舞台に立ったのだ。


「名人じゃないな、これはまさに達人の域だ」と率直な感想を持ったヒゲの総帥。


オーラなどない、威圧感もない、気配もない。禅師である白隠が山中で白幽子なる男と出会ったときはこういう感じではなかっただろうかと感じる。もちろんヒゲの総帥を白隠に喩えているのではない、故事に頼り喩えるより表現のしようがないのである。


ヒゲの総帥の母親は自分より年齢が上のジャズドラマーということを知り、一体どんな演奏をするのだろうか、30分くらいずつで休憩を挟むのではないのかと勘繰っていたが、その懸念は見事に打ち砕かれた。


スティーブがクリック(メトロノームと同意)をイヤホンで聴く、そしてイヤホンを外し、静かにスティックを叩き「ワン、トゥー、スリー、フォー」と言葉すら発してカウントを作る。その瞬間、静寂のなかに何か「気」のようなものが生じる。その「気」は周囲の音楽家たちに伝達され、音楽が作られていく。こんな経験はヒゲの総帥にとって前代未聞であった、カウントを奏でることができるのだと衝撃であった。


スティーブ翁は必要とあらば、4拍の曲でもカウントを8拍や16拍で平気にとる。しかしながら、その数秒のカウントで骨格をすべて作りあげてしまうのだ、これを芸術というのであるならば、自分と芸術との距離は永遠に埋まらないのではと感じるほど素敵だった。これほど官能的に滑り出してくる音楽をこれまで聴いたことがあっただろうか、絹の手触りを初めて体験するかのような入り、その表現に一切の無駄はない。ないのだ。恐ろしい男がいたものだ、怖い。こんなに怖いのに笑いと拍手しか出て来ず、ヒゲの総帥と母親の心は完全にこの男が彫刻するリズムに陶酔を極めている。


生まれてこのかた、一度も無駄口を叩かずにユーモア満点のジョークを語る農家を営む神学者のようであった。


この日、会場に集まった田舎者たち。ジャズライブに慣れた少数の人たちがジャズでのオーディエンス側の段取りをしたりするのだが、ほぼ圧倒的に多数の人間がそういう聴き方がわからない。スティーブが語る英語のMCもよく解らない、ところがどうした、会場の静かなる狂熱たるやふつふつと温度や湿度となって会場内部の雰囲気を変容させていくではないか。


本編最後の曲が終わる。スティーブが語る「俺たちは今日でツアーを終える、帰国するにも外へ出るには荷物が重たいので、物販を全部買っていってくれ」と。


これでコンサートも終わりかというとき、客の白髪のおっさんが暴れ出す。「もっと演奏してくれ」とダダをこねる、英語が喋れない人間がなんとか自分の気持ちをわかって欲しいという、その様はまるで赤子のようであり、感動する。その白髪のおっさんのジタバタを契機として場内は感情のプラグに火がつく。「もっと演奏してくれ」とそこいら中から叫び声や口笛がなる、スティーブはとても人間らしく愛くるしい顔で客席の静かなる訴求を見る。


「わかった」と笑いながらステージ裏に引き込むこともせず、他のプレイヤーたちにカウントを供給する。陽気な曲、そしてどこかしら田舎くさい曲であった。その曲のチョイスはとてもこの会場を幸福に満たすにベストな選曲であった。


市町村合併で自治を失った三豊市の旧:詫間町が熱狂した。


ヒゲの総帥の田舎に神がやってきたのだ。


「こんなに退屈しないジャズを聴いたのは初めてだ、まるでジャッキー・チェンの酔拳を見てるようだった。しなやかな鞭のような体、完全なる脱力を感じさせたかと思えば、その脱力のままで人を殺せそうやな」とはヒゲの総帥の母の弁である。


中年のヒゲの生えた息子と、いつまでたっても楽をさせてもらえない母親にとって初めて行ったコンサートが今回のスティーブ・ガッドのバンドであった。母親はなんとか自身の息子をこのドラムの達人のサイン会に参加させ握手させようと試みるが、二人ともあいにく金の持ち合わせがなくCDを買えない。


まあ、仕方がない。と諦める。


「会場の近くにジャズバーでもあればいいんだけれど、港と海しかないな。飲みたいのに飲めない、いや、それよりも腹が減った」とヒゲの息子はいう。CDを買う金はないが、二人あわせて弁当代くらいは持っていたので、そのまま夜まで空いている弁当屋へ行き、弁当を二つと野菜炒めを買う。


夜中に会場近くの弁当屋に入る、「こうして二人で弁当屋に来るっていうのは何年ぶりだろうね」と母親がいう。「さて、何年ぶりだろうかね」と息子もぼんやりと問い返す。


「千代子が死んで、学校の友だちがたくさん家に来たとき、このお弁当を頼んでみんなに出した。全員この弁当やったきんな」という母親の手には、イカの揚げ物だけが飯の上に乗った弁当があった。


ヒゲの総帥と妹の別れは唐突だった。


最後に会ったとき、自分の容姿に悩み、一重まぶたに悩む千代子という名の薄幸な妹が、苦労のうえに安価なノリのようなものを買って二重まぶたにしていたのを、「偽善だ」といって兄のほうが妹の所業を鼻で笑ったのが最後の別れだった。


ヒゲの兄のほうは、そのときの後悔を20年ほど引きずって生きている。バカで愚かな自分の過ちを知るばかりである。20年のあいだ、一向に自分が許されることなどないのだ。


誰にだってあるのかも知れない、一度として許せないことをした自分の過ち。


それでも、空が晴れたり、星が綺麗だったり、夕焼けが猛烈だったり、素晴らしい芸術を目の当たりにすると、今日はよい日だったと感じられる。後悔して当然じゃないか、顔をあげて前を向けよ、お前はまだ歩くんだろう?。とカウントを聴く。


ジャズのリズムをありがとう、スティーブ・ガッドさん。


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by amori-siberiana | 2018-09-18 20:38 | 雑記 | Comments(0)

ヒゲの総帥はこれまで何度くらい泣いてきたのだろう。


泣き虫や泣き上戸というわけではないが、涙もろくないわけでもない。つまり、人として一通りの泣くという感情表現はしてきたのだ。そして、ヒゲの総帥はこれまでにどれだけの人が泣いているのを見てきただろうか。親、兄妹、家族、恋人、友人たち、知らない人、違う国の人、これから会うであろう人。


ヒゲの総帥はこれまで何度くらい人を泣かせてきただろう。


人を裏切ったこともあれば、ダマしたこともあるだろう、争いの渦中へ放り込んでは見放すことすらしてきた。熱狂させておいて、そのまま薄情にも消えたりした。


泣くという感情表現は様々である。嬉しくて涙が出ることもあれば、悔しくて涙が出ることもある、自分が自分以外の何者でもないことにふがいなさを感じて泣くこともあれば、人からの温情の厚さや愛情の深さに泣くこともある。心が震えると自然と涙がでる。


「僕は一体、なにがしたいのだろう」と考える。いつも考える、考えるよりは感じてみようとするのだけれど、感じることを考えてしまう。そういうとき涙は出ない。


涙というものは吹き出すとか、こぼれだすとか、込み上げるとか、溢れだすとか、そういうものであって欲しい。自由気ままに操作できないものであって欲しい。


先日、車を走らせながらシベリアンニュースペーパーのことについて思いを馳せた。ギターを修理した後、下呂温泉へ向かいながらだっただろうか。なんだか沢山の人が少しずつ、自分の幸運をヒゲの総帥に託してくれたような気がした。それぞれの人が数字にして幾ら運を持っているのか知りはしないけれど、大切なひとつを預けてくれ、集めて、こうしてまたシベリアンニュースペーパーが動き出すことに繋がったと感じた。


そう感じると自然、身体が震えてきた。


もちろん、シベリアンだけに限ったことではない。でも、今日はシベリアンにスポットを当てたいのだ。


どうして音楽をまたしようという気になったのか、自分でもわからないのだが。やっぱり好きなんだろう、音楽にどのような効能があるのかわからない。けれど、楽器を弾いて、メンバーと合わせてみて、お客さんに聴いてもらうということがたまらなく好きだ。好きで好きで狂いそうだ。音楽にはすべて詰め込んできた。


楽譜もよく読めない、ロック魂が何なのかだってわからない、音感だってあまりないほうだ。それでも音楽は「お前は要らん」とは言わなかった。出自だって良くもなく悪くもない。比較的に健康体であり、学歴はないけれど口は巧い。自分にはだらしなく他人にはひたすら厳しい面がある。親孝行をしたいけれど、親はヒゲの総帥が元気にやってるだけで既に孝行だと高望みをしない。それでも音楽は「お前は音楽する価値なし」と冷たいことは言わなかった。知恵を使えばお前でもなんとかなる、工夫すればお前でも音楽ができると可能性を与えてくれた。


毎日を退屈しながら生きないようにだけ努力している。孤独にならないようにだけ努力している。


本当に面倒な男だ。信心もない。


このような面倒な男とまた一緒にやろうと駆けつけてメンバーに関しては、感謝を通り越して良い奴らすぎてイライラしてくる。こんなメンバーは鐘と太鼓を叩いたところで集まってくれるような人たちではない。それに、このようなバンドのことを好いてくれる人たちについては、一体どうして欲しいのだと一人一人にとことん詰問してやりたい。そうなるとお前こそどうしたいのだと質問返しされ、禅問答のようになりそうだが、それもよい。答えを導くことよりも問うことのほうが重要だ。


迷うなら一緒に迷う、泣くなら一緒に泣く、笑うなら一緒に笑うほうが遥かによい。


北浜やコロマンサやリンクスに関わる前、関わってからの一年。加藤登紀子の歌ではないがその全てが無駄ではなかったと確信がある。心底そう感じる。


ヒゲの総帥はシベリアンニュースペーパーをただのバンドではなく、もうひとつ大きな枠にするつもりだ。それを何というのかは各人に任せる。ひとつの有機体であり、興味深い化合物である。


せっかく新聞みたいな名前があるのだから、文芸だけではつまらない。なんでもかんでも載っている記事のほうが愉快であろう。近いうちにシベリアンニュースペーパーの今後の展望についてはお伝えするつもりだ。


人として至らず、音楽人として至らず、経営者として至らず。不惑を迎えて惑星のようにふらふらする。ただ、友人だけには非常に恵まれている。自分がわからなくて当然である、いつも他人が自分を磨いてくれる。とにかく目の前のことを必死に考えて打ち込んでいれば、必ず他人が助けてくれた。


ヒゲの総帥にできることは、打ち込むことだけである。そこに意味を求めることは自分の気持ち次第でどうにでもなるので、やめる。


どうか、また力を貸していただきたい。これからしようとすることには、沢山の人からの協力が必要である。そんじょそこいらで行われるような何かをしたいというのではない、大事をするのだ。


そしてその前にこのシベリアンニュースペーパーなる音楽家の集まりが大言壮語するに相応しいものかどうか、聴きに来ていただきたい。その耳で入念に精査していただきたい。




ヒゲの総帥、これより討って出る。自分がどこまでやれるのか試してみるのだ、仲間たち、みんなで何ができるのか、その可能性に賭けてみるのだ。




ありがとう。



以上



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by amori-siberiana | 2018-09-14 09:12 | 雑記 | Comments(0)

ヒゲの総帥はアコースティックギターを二本ほど持っている。その二本ともが「ヤイリ」という会社の国産製品である。一本はいただきもので、もう一本はヤイリ社からの預かりものなのだそうだ。


ヒゲの総帥は来るべき日に備えてギターの調整を思い立ち、久しぶりに彼の持つギターを生まれた故郷に戻らせることにした。そこに行くと良い空気がありギターが本来の活気を取り戻すという類の感傷的なことではなく、腕の確かなギター職人たちがせっせとギターを作ったり修理をしたりしているのである。そこはギターが生まれるホワイトホールである。


岐阜県可児市にある「ヤイリギター」の工房へ到着する。



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ヒゲの総帥のギターを待ち構えていたのは、ドクター佐々木である。以前、ここに来たのは6年ほど前であったであろうか、コロマンサでの一年という厳しい環境のなかでギターも随分と疲れているのだ。いや、コロマンサでの一年など取るに足らないものかも知れない。


到着早々、ヒゲの総帥は何故か「すいません、すいません」を繰り返して広い工房内を順繰りに低身低頭してまわる。まるでDVをしてしまった我が子供を病院に連れてきたような感じであり、他人がみるとどうにも誤解しそうな態度であり、これはこれで滑稽である。


事前に症状はメールにてヤイリくん(マスコット)を介してドクター佐々木に伝えていたので、既に手術のスタンバイはできている模様である。


ドクター佐々木はギターをケースのまま受けとり、颯爽と医院の奥へ向かう。相変わらずヒゲの総帥は「すいません、すいません」を周囲の職人たちに繰り返す。アイデアがないときのウルグアイのレコバみたいである。ドクターは回廊を歩き、階段を上りながらヒゲにいう。救急病院の病棟を歩くような感じである。



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「阿守さん、シベリアン、どんな感じでやられるおつもりなんですか」


「すいません、グラミー賞を取りに行きます。すいません」とヒゲの総帥は能無しの回答をする。


ドクターはニヤリとしながら「いいですね、それじゃ、全力でサポートしますよ」と歩きながら返答する。


工房の奥に到着するまでいったいどれほどのギターがあっただろうか、ギターと木材の狭間を行き交っているものも含めると相当な数であった。工房には心地の良い工作の音がきこえる、木を削る音、乾燥させる匂い。奥で待ち構えていたのは、マエストロ松尾である。


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この一見、ものすごくパチンコや麻雀に精通してそうな年配の男がヒゲの総帥のギターをケースから取りだす。ドクター佐々木が病状を的確に伝える、よくわからない専門用語が出てきて、ヒゲの総帥は何もわからずにそうだそうだと議会に参加した新人の国会議員のように頷く。あたかも自分に主義主張があるようにだ。


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「お時間はどれほどあります?」とマエストロがヒゲの総帥をみる、「はい、一日何も予定を入れておりませんので、時間に関してはまったく問題ありません。すいません」と答えるヒゲのギター弾きらしき男。マエストロの机の横の電話がひっきりなしになる、工房にアナウンスが響く。「松尾さん、松尾さん、1番にお電話です」という具合だ。説明はなくとも全国のヤイリギター・ユーザーからの問い合わせであることはわかる。


「阿守さんさえよければ、このギターはピックアップ(音を電気信号で増幅する機械)が欠損しているので、新たにそれを埋め込みましょう。このギターが出来たときに付けられていた当時のピックアップは残念ながらもう入手不可能なので、新しいものになりますが、それでよろしいですか?」


「はい、ありがとうございます」


「演奏においてパッシブとアクティブのどちらかじゃないといけないというのがありますか?」


パッシブとアクティブの意味がわからないヒゲの総帥は取りあえずバカのひとつ覚えのように「そうですね、すみません、お願いします」を繰り返す。


手術の邪魔になるのでヒゲの総帥はさっさと待合室へ引っ込む。待合室にはこれまでのヤイリの歴史が詰まったギターがずらりと並べられ、そのほとんどが試奏可能なのだ。ヒゲの総帥は面構えのいいギターを取っては弾いて、置いては取って弾いてする。


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小一時間ほどすると、ドクター佐々木がヒゲの総帥を呼びにくる。もう手術は終わったそうである、なんとも早い。


ヒゲの総帥は手術を終えたギターを見て驚く、ピックアップが当時のままに復活しているのだから当然である。


「もうないと思ってたけれどヤイリの倉庫にラストのひとつがありましたので、それをつけておきました。もうありませんよ、これが最後です」と笑いながらマエストロ松尾はいう。ヒゲの総帥は鳥肌がたつ。自分も誰かに対してこうでありたいと思う。


「ボディの陥没している部分は埋めておきました、あと指版もすり合わせをしておきました。その他、ボディの壮絶な傷ですが、それはそのままにしておきました」とマエストロはいう。ドクター佐々木が話しを引き継ぐ「わざわざボディに傷をつけて、それっぽくしてる人とか多いのですが、そういうのは格好をつけたなってすぐにわかります。けれど、阿守さんのギターの傷は弾き続けないとつかないものです。それは本当に格好いいものです」。


マエストロは笑いながら「みんな、その傷を欲しがってるんですよ」という。ヒゲの総帥は恐縮に恐縮を極めて、もう心身が喪失状態になっている。元来、権威主義を振りかざすものに対しての反発は苛烈なものを持つこのヒゲ男だが、職人にはほとほと弱い。何もかもを見透かされてる気になるのだ。


「ちょっと弾いてみてください」といわれて、ヒゲの総帥はギターを弾く。マエストロとドクターは何やらニヤニヤする。


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「阿守さんのギターの傷のつき方が普通の人と全然違うので、どういう弾き方をしたらこうなるのかなって修理しながら松尾さんと話してたんですよ。今、弾いてもらってるのを見させてもらって、ああ、そういうことだったのかと納得しました」とはドクター佐々木の言葉である。


もちろん、ヒゲ自身はなんのこっちゃ納得の根拠がわからない。が、ギターは活き活きとしている。木が人間の創意工夫によって歪められ、切られ、貼られ、そして絶妙なる音を響かせる。ここに至るまでどれほどの知恵があったのだろうかと思いを馳せる。


ヒゲの総帥は職人たちと社長さんに礼を述べて、工房を後にする。


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手前味噌のようであるが、心底、自分がヤイリギターのユーザーで良かったと感じる。Wi-Fi探しの無益な旅やアップデートと更新プログラムのインストールに明け暮れる世の中から救い出されたような気になり、ホッとする。


今、ヒゲの総帥のギターは最強である。人の目と技術、そして経験に培われたセンスと勘によって命を取り戻したのだ。


さて、次はおっさん自身のアップデートだとヒゲの総帥は車のナビに「下呂温泉」と打ち込むのであった。


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by amori-siberiana | 2018-09-10 23:48 | 雑記 | Comments(0)

「今日も皆さんから学ばさせていただきました!」


「なるほど・・・、いや、勉強になります!」


「今、僕は・・・完全に迷っています!」


これらの言葉はディエゴ語録のほんの一端である。桜川にあるバー「ビッチ」のカウンターに集うのはヒゲの総帥とチンピラの男、そして全身黒ずくめの冷泉と靴マイスターの男が並ぶ。このうち三人は人斬りであり、最後の一人は詐欺師である。そんな渦中に放り込まれているのが、今日の主役のディエゴ君である。


ディエゴ君はこの度、満を持して起業することとなった。その名も『108』というものだ。108という数字は人間の煩悩の数だといわれている、ディエゴ君の会社の企業理念は「我欲」である。自分の欲望の全てを叶えるためのキッカケとなる会社であり、贅に贅を尽くしたあと謀殺された三国志でいうところの董卓、ゲテモノ趣味と残忍さによって人々の憎悪の記憶としてその名を残したローマ皇帝カリグラのような世界観を目指すというものであった。


となれば、話しも随分と面白いのかも知れないが、残念ながら健全そのものといって然るべき会社である。


「どんな会社なんですか?」とビッチの女店長が尋ねる。


「それはですね・・・」と、ボケなくていいところでボケ切ろうとするが、遺憾ながら念願のボケが頭に浮かばず、場に変な沈黙をもたらすディエゴ。その中途半端さを鋭い眼光で指摘する靴マイスターの男。その珍妙な光景をニヤニヤしながら見るヒゲの総帥。


ディエゴは人の話しの相槌をうつとき、「へえ」とか「ふうん」とか「なるほど」というのがクセなのだが、前者の二つに関してはチンピラの男に「お前、次、へえとかふうんとか言うたら、ほんまに殴るぞ。これ冗談やと思うなよ」と釘を刺される。あの上腕二頭筋から繰り出される鉄拳をまともに受けたら、ディエゴの顔がキン肉マンに出てくるブラックホールのようになるであろう。


冷泉はこういう話しに乗ってこない。というよりこの日は体調が優れないヒゲの総帥を慮ってか、総帥に注がれるマッカランのストレートをすべて黒ずくめの男が飲み干してくれるので、すでに泥酔してフラフラしている。「僕、帰りたい・・・、帰りたい」と何度も訴えるのだが、ことごとくをチンピラの男に握りつぶされる。


酒量が増えてくるとどうしても塩気が欲しくなるもので、ヒゲの総帥はフライドポテトを注文して靴マイスターの男と分ける。


誰からか忘れたが、ディエゴに向けてどうして起業したのかと問う。ディエゴはこれまで何度も言ってきたであろう起業した理由の口上を皆に伝える。ビッチのドアが開く、するとジローが現れる、ヒゲの総帥はカウンターに着座したばかりのジローから葉巻を受けとりプカプカとふかしだす。チンピラの男も葉巻を吸いだす。


先日、ジローからその美味さを教えてもらった「パルタガス」なる銘柄のシガーをバイオリン弾きにすすめたところ、「あっ、これは優しくて良いですね」と終始ご満悦であった。他人が経験によって備えた知識を安易に共感同調して共有することは、生きていくうえでの愉しみの一つである。第一、その方が楽でよい。誰かが苦心して導き出した考えをそのまま享受することが阻まれる世の中になるとすれば、まず本屋が潰れるであろう。つまり、本というのはその程度のものなのである。本を読め、本を読めといわれるが、実際のところこの世に読んで然るべき本を見い出すことのほうが骨折りとなるのだが、運良くそういった本に巡り合った者は、得てして幸福なのであろう。


さて、ディエゴの起業に至った理由であるが、一般的で健康的にて健全であるため、つまり猛烈につまらないため書かない。ビリー・エリオットはロンドンのロイヤルバレエ学校入学への面接において、並ぶお偉方の面接官から「なぜバレエに興味を持ったか、聞かせてもらえるかね?」と訊かれて「さぁ・・・」と答えた。さらに「バレエのどこかに、何か特別な惹かれる部分が?」と訊かれても「さぁ・・・」と答えた。


なんという模範的で魅力的な人間らしい回答であろうか。彼はその面接のまえにタブーである暴力事件を起こしているにも関わらず、居直らずに純朴で自然体なのだ。


相手からの質問に上手に答えることのみが是とされる時代は終わった。要するに聞き飽きたのだ、「~をするのに、絶対やってはいけない(またはやっておきたい)10のこと」のようなコピーのネットでよく見る、雨後のタケノコのような今どきの潮流に乗ってしまえば、自分の船は結局のところ誰が先導するのかわからなくなる。


「僕、阿守さんの言葉で忘れられないのがあるんです。成功者のいうことを聞くなというものです、聞いても無駄だと。どうせなら失敗のほうを聞けとおっしゃってましたよね?」とディエゴはいう。


「無論だ、成功者のバカ話しなど聞いても気色悪いだけだ。大体のところそういう輩は後輩などに持論を話したくて話したくてウズウズしてるだろう、それに比べれば失敗談のほうが酒の肴になって健全だ」とヒゲの総帥はぶっきらぼうに極端なことをいう。


「俺は失敗談すら不要だと思うね」と横から靴マイスターの男。チンピラの男にいたっては「先輩なんてのは、全員殺してしまえ。世の為に早めに死ねと俺は自分の父親にすら言っている」とさらに過激なことをニタニタしていう。


ディエゴは苦笑しながら「阿守さんにとっての一番どん底のときがどういうときだったのか僕に教えてくれませんか?」とヒゲの総帥に問う。


「一番どん底か?そりゃ今だよ」と平然としてヒゲの総帥は答える。


「えっ?」という顔をするディエゴ。


「だって、酒の席で隣にいるのがお前(ディエゴ)なんだから、どん底以外のなんでもないだろう。だから今だ。延々と続くのが今だ」とケラケラ笑ってポテトをついばむヒゲの男。ディエゴは、やられたという顔をする。チンピラの男と靴マイスターの男は笑う、冷泉はいつしか帰っている。とっくに日付は変わっている頃合いである。


「阿守さん、俺ね、コイツ(ディエゴ)とサーフィン行ったんっすよ」と話し出したのはチンピラの男。聞けばチンピラの男に縁故ある高知の地にて、ディエゴも誘われてサーフィン合宿のようなものをしたのだそうだ。


「コイツ、サーフィンが好きでしょ?俺もサーフィンを多少やるんで、一緒に海に行ったんっすよ。普段、コイツのことジムとかでシバキまわってる俺なんですけどね、コイツがどんな顔して一番好きなサーフィンに乗ってるんか見たいと思ったんですよ。俺はコイツほどサーフィンが上手やないから、一所懸命ボードに乗ってコイツのおる沖のほうまで行ってね」とチンピラが話しをする、一同はうんうんと頷きながら次の話しを待つ。


「そしたら、コイツね・・・、めちゃくちゃ嬉しそうな顔して、波に乗っとるんですよ。ほんまに嬉しそうな顔してね・・・」と話してくれる。「ああ・・・、コイツ、これがしたかったんやなって・・・」とチンピラの男の目には涙が浮かぶ。


ヒゲの総帥は風と海原にてカーテンのように連なる波を想像する。そこに一人の青年が笑顔で延々と波に乗っては、浜へ押し返され、また沖まで行って波に乗っては浜へ押し返されをしている光景を思い浮かべる。焼け付く太陽の日差しに負けず劣らずのディエゴの屈託のない笑顔を思い浮かべる。生を与えられたものが、それを一身に充実している姿を思い描く。いつしか自然とヒゲの総帥の目にも涙が浮かぶ。


涙を拭いてヒゲの総帥はディエゴに訊く。


「ディエゴよ、お前はサーフィンしているとき何を相手にしているのだ」


ディエゴは「それはつまり・・・、えっ?どういうことですか」と歯切れが悪い。


「言葉のままだ、お前はサーフィンしているとき何を相手にしているのだ」と同じ質問をディエゴにする。


「それはですね、自分です!」と得意げな顔で考えに考えて観念的に返答するディエゴ。非常につまらない回答でヒゲとチンピラの涙もすっかり枯れる。


「お前、そんなんではモテんだろう?」とヒゲの総帥は苦笑する。


「はい!まったく、モテません!」とディエゴ君、今日において最高の返答がやってくる。


そこからビッチの女店長とジローの隣に座っていたクラブのお姉さんから、「人たらし」になれと言われ、人との話し方のノウハウ指南を受けるディエゴであった。


靴マイスターの男はディエゴに「ナパームデス」を聴いておけとだけ言っていた。



面接官:もう一つ教えて。踊っているときは、どんな気持ちがするの?


ビリー:・・・はじめは緊張するけど、踊りだすと、何もかも忘れます。そして、何かが変わるんです。体の奥に炎が点いたように。・・・飛ぶんです、鳥のように。・・・鳥のように、電気のように。


そう、電気のように


映画「リトルダンサー」より


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by amori-siberiana | 2018-09-06 00:02 | 雑記 | Comments(0)

台風の最中に失礼して申し訳ないのだが、嵐の中で暇である。さすがに役所もほとんどの部署が休みなのだ。


さて、


ヒゲの総帥こと阿守孝夫はこのたび、ツタの絡まる青山ビルにあるギャラリー「遊気Q」のインターネットブランド部門、「バロンダール (Ballon D'art)」の総帥に就任することとなった。といっても既存のバロンダールをどうのこうのしようとは全く考えていない。


バロンダールというブランドは、芸術的であろうといわれる様々な分野の作家さんと、目利きの自称302才の女オーナーの付き合いによって成立しているものあり、バロンダールの商品は「遊気Q」の陳列ブースへ並ぶときもあれば、並ばないときもある。


「ここは宝の山なんですよ」


と公言して憚(はばか)らないギャラリーの女のことばを聞いてからというもの、いつか時間があれば「遊気Q」をおもちゃ箱のようにひっくり返して、その玉石混交のなかを覗いてみたいと思ったのだ。覗いて目録を作成したいという思いに駆られる。丹念に化石に付着した泥を取り除く作業や、丹念にその作品が作られた過程や工夫に思いを馳せる機会が欲しいと考えていた。


小さい頃のヒゲの総帥の楽しみのひとつでこんなものがある。それは、家のなかにあるものでスーパーなどの値段がついたものをひとつひとつ電卓で計上していくだけという、よく解らない遊びだった。各個にバラバラの個性をもつ商品が、電卓のなかで合算されていくのが好きだった。


いつか時間があれば、時間があればといっていても時間はなくなるばかり。放っておくと何もしないままで静かに熱だけが多事にすり減らされ放射冷却していきそうなとき、ヒゲの総帥の背中を押してくれたのはギャラリーの女であった。「さっさとすすめてくださいな」といってくれるのである。彼女には感謝しかない。


ヒゲの総帥ができることはバロンダールに集積している宝らしきものの目録を作り、その「らしき」を「らしく」紹介するだけである。仕事内容としては「発掘」になるかも知れない。


なにから手をつけていくのか、なにをどう工夫して伝えるのか明確なビジョンはまだないのだが、千里の道も一歩からというではないか、とにかくやってみなければ始まらないのだ。どうか今後のバロンドールに期待していただければ幸甚である。


外は轟々と風の音がする、なにか吹き飛ばされたモノが硬い何かに当たる音がする。嵐が通りすぎるまであと少しの我慢である。


台風の最中に失礼いたしました。みなさまがご無事でありますよう。



阿守孝夫 拝



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by amori-siberiana | 2018-09-04 14:52 | ごあいさつ | Comments(2)


北浜というビジネス街を独立させようと企む、ヒゲの総帥のブログです。