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まずは、本公演のチケット発売と同時に即完売となりましたこと、ありがとうございます。


イーデヤンスのダダヤマ社長などは「阿守さん、アレはどういう技を使ったんですか?頼んでいた誰かに発売と同時にありったけのチケットを買わせたんですか?」と愚問をヒゲの総帥に持ち掛けてきていたが、人間ここまで心が曲がってくるとなかなか真っ直ぐに戻すのは骨が折れそうである。


今回、みんなで何かできないだろうかと考えた末、プラネタリウム公演の広告チラシを塗り絵にしてはどうだろうとなった。なるほどそれは面白いということだったのだが、チケットがすぐに売れてしまったため広告の必要がなくなった。残ったのは大量の「塗り絵」である。


しかしながら、この塗り絵については皆の協力のもと、どうにか染め上げたいと思う。何で塗ろうか、クレヨンか鉛筆や絵具のようなアナログ的手法か。それともパソコンに取り込んでデジタル的な手法で塗るか、それは塗り人次第である。もちろん一人当たりの枚数の制限がないようなので、両方の手法をとっても良い。


今日、2月23日は父親の命日であっただろうか。完全に忘れていたが、母親からそれとなく知らせのメールが届いていた。


ヒゲの総帥の父親は日曜画家であった。画家だけでは生計が成りたたないので牛乳販売の事業を始めたのだが、事業が軌道に乗って忙しくなってもたまに家で油絵を描いていた。父が油絵を描く時間がヒゲの総帥は好きだった、なぜならば父が己が持ち抱える何かをキャンバスにぶつけんとして懸命になっているとき、父の注意力は絵に注がれている。その間隙を縫って父親の財布から金を失敬することができたからだ。随分な額を失敬してきたが、今さらになって思うのはあれは気づいていたのだろうかと。気づいていても、何も言わずに放っておいていたのだろうかと。今ではわからない。


ある日、母から「これを見て欲しい」と言われて父親の絵を渡された。死んだ父親の荷物を整理していた母が父の描いた絵の裏に言葉が書かれているのを発見したのだ。


そこには父がこれを描いているときに父の父(ヒゲの総帥の祖父)が死んだと病院から連絡があったことと、簡単な死までの経緯が書かれていた。訃報を受けても描くのをやめることなく、病院へも駆けつけなかったのだろう。なんだかそれは自分にも受け継がれているような感覚である。一般的には薄情に思えることかも知れないが、そうではないのだ。義の理を欠いても、真の理に従う自分がそこにいるとしか言いようがない。


さて、父の話しはもういい。何をブログに書くのかというと、今日は塗り絵をみんなでしましょうという呼びかけをしたいからである。


みなさん、ご協力よろしくお願いします!♪


以下:ハーモニーフィールズよりの転載。





◖ SIBERIAN NEWSPAPERをあなたの宇宙色に塗ろう◗

チケット発売後直ぐに完売となった為、準備していた「塗り絵」チラシがお蔵入りになっていました。

コンサート当日「塗り絵作品」としてお持ち頂き、展示させて頂き、各賞の発表をさせて頂くことで復活しました。

是非自由な発想で楽しんでくだい♪

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「ぬり絵」して当日、会場前受付けにお持ちください。
あなたの作品をロビーに展示致します。

3/26(火) すばるホールHPにて、『SIBERIAN賞』『星空賞』『すばる賞』の発表があります。

◎お手数ですが、下記よりページにアクセス頂き、ダウンロード、プリントお願い致します。

https://www.harmony-fields.com/a-siberiannewspaper/nurie.pdf

◎裏面に受賞された時のご連絡先を必ず明記ください
― お名前(ふりがな)
― ご住所
― お電話番号
― E-mailアドレス

◎ご希望の方は 郵送致します。

info@harmony-fields.com まで

お届け先と枚数をご連絡ください。



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by amori-siberiana | 2019-02-23 14:51 | 雑記 | Comments(0)

私ごとで恐縮で御座いますけれど、週末は東方正教会の教会へお祈りに行きました。私のような無信心で無学な者がですね、今さら教会などへ足を運んで何をするのだと皆さんに笑われてしまうかも知れませんけれど、何を求めて教会に足を運ぶのかなど自分自身でもとんと解りません。しかしながら、ワインという飲み物についてより深い意味を探ろうとするとき歴史的に見ましてもキリスト教を省いて、ワインを語ることは出来かねます。


パンとワイン。東方から星に導かれるままやって来られた三人の賢い者がそこで出会った神の子「イエス・キリスト」。東方正教会においてはキリストのことをハリストスと申します。新約聖書(マタイによる福音書のなか)にはこのようなことが記されております。


食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してのち、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。


『取って食べなさい。これはわたしのからだです』


また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。


『みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです』


このマタイ伝というものは誰が書いたのかわかっておりません。それどころかそもそもはどのような言語で書かれたものかも確実には判明しておりません。しかしながら、何の目的で書かれたかは解っております。イエスさまの登場によって旧約聖書での預言が成立していること、この人こそが救い主であるという証明するもので御座います。


旧約聖書といいますのは、救世主はイスラエルから出てくるという、神とイスラエルの民の契約を記したものでありまして、新約聖書というのはそれを引き継ぐかたちでイエスさまが登場しまして「救世主がやって来られた」というもので御座います。イエスさまによって契約は果たされたという内容で御座いますけれど、イスラエル(ユダヤ)の人からするとよくわからない男が自分たちの救世主になるとは予想もしておりませんでしたので、これは面白くない内容だとユダヤの人たちに新約聖書は受け入れられておりません。


誰が書いたのかわからない歴史書、またその時代の時々によってあらゆる解釈がなされることがあります。どうして神はイエスを使わされたので御座いましょうか、この「ウソつき」と言われて最後には処刑された男が一体全体、社会においてどのような役に立ったので御座いましょうか。そして、イエスさまとは何者なので御座いましょうか。


さて、訳のわからない宗教のお話しはこれまでといたしまして、これまで長きにわたってお話しさせていただきましたワイン会につきましても、これが最終話になることとなります。皆さま、よく我慢してお読みになってくださいましたね。たった半日のことですのにこのように一週間にわたってお話しさせていただきましたのは、ひとえに私の不調法のせいで御座いますことお許しください。


ほんと、人間と申しますのは習慣から抜け出せないもので御座いますね。「ぬ」と紙に書いて人にお渡ししますと、皆さん「ぬ」と言葉にしてくださいますけれど、どれだけ頭が良さそうな人を捕まえて、「ぬ」に濁点をふっただけの「ぬ゛」を言葉にしてくれとお願いしましただけで、人それぞれ確実な正解を導き出せないので御座いますから。たった、点が二つ増えるだけですのに、まことにおかしいことで御座いますね。どうにもならないのでありますから。


それでは、北浜の『THE LINKS』にて行われた白組の後半プレゼンテーションへと場面を移しましょう。あの口のお悪いヒゲさまが皆さまより喝采を受けたあとですので、白組陣営といたしましては、まさに後がないという状態からスタートすることとなりました。





Eljott az Istened. Szall az Ur. O. Vannak a szent angyalok. Azok. O


汝の神は来たり。主は舞い上がる。おぉ、聖なる天使がおられる。天使らよ。おぉ。




-レヒニッツ写本の導入部より (※解読については未だ謎のまま)-









シロー・・・。




シロー・・・。




シロー・・・。




井戸の中から聞こえてくるようなおぞましき声。亡者が地獄より一本の糸を辿りて煉獄たるこの世へ戻ってきたかのような声がどこかから聞こえる。静寂を切り裂きながらやってくる声・・・、いや、違う。これはそのような声ではない、周囲がガヤガヤと騒がしいのだ、その雑然とした溢れる言葉の中から、自分の名が混ざっていることをシローは聞き分けた。


シロー・・・と呼ぶ声はそのうち霧の向こうのおぼろげなる残像から、シロー自身が自分の名を認めた瞬間、一気に明確な実像としてシローの眼前に現れる。スッと聴覚を刺激したあとは視覚に訴えかける。声の主は誰だ、どこから発信されているのだ。何の試験の時間なんだ、何を狙って付き合うんだ。


誰だ、誰だ、誰だ!


シローの視線が声の主を探し出したとき、断片的だった言葉はいよいよその全貌を出現させる。人は耳にしている音が音である場合は聞こえていても聞こえていないが、その音が記号であると認識した瞬間、それは単なる音ではなく意味を持つ「呪術」となる。


「シロー!なに言うてるかわからんから、もっと声出してくれ」


呪術を放り投げているのは酩酊の渦中にいるチンピラの男たちであった。つまるところビール派(ハイボール派)を標榜する異教徒どもである。プレゼンテーションも後半のさらに後攻ともなるとシラフの人間などはいない、そんじょそこいらが酔っ払いばかりでとにかくやかましい。その様はまこと背徳の街ソドムのようであり、近々、天からの硫黄で焼き尽くされ皆殺しになるのを待つかのような刹那を感じる。


「もう、(声が聞こえないなら)こっち来てよ!」とシローは異教徒に発する。


シローは己のプレゼンテーションの序文に次の言葉を述べた。自分はマンホーさんや阿守さんやタッキーさんのように喋りが上手ではないと、確かにそうなのかも知れないが、この男のワインに対する熱量は参加者でも最上位を争うものであろう。


マンホーは政治パーティをはじめ、いろいろなところへ顔を出すことが多く言葉は達者であろう。「間違いないですね」、「おっしゃるとおりですね」というセリフをマンホーが口にしているとき、彼の心はどこか遠く、誰にも知られない約束の地を彷徨っているはずなのだ。ヒゲの総帥はこれまでの人生を口八丁で生き延びてきているのであるからして、説教師が転職のようなものだ。豚王タッキーにいたっては若い頃、日本で一番有名なバンドのメンバーからおもちゃにされており、「拓也、なんかおもしろいことしてこい」と無茶ぶりされては、満員の客の前に出され前説のようなことをさせられていたという経験を持っており、やはり声は通るほうで急場を凌ぐ咄嗟の適応力はある。


シローにそのような変化球は似合わない。彼はいつだって直球勝負なのだ、助走をつけてスピードガンに向かってボールを投げ、肩をヒリヒリさせながら150キロの剛球を投げていた男に今さらアンダースロー(下手投げ)に転向しろというのは酷な話しである。


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メニュー

◆赤ワイン 産地:アメリカ (ナパ渓谷)

STONE HEDGE 2014

◆マリアージュ一品

ブルーチーズと金山寺味噌



◇白ワイン 産地:南アフリカ

CRAVEN 2016

◇マリアージュ一品

ロールキャベツの白湯仕込み


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よく考えられた組み合わせである、もちろんマリアージュのどこにも前半で豚王が意味深に語った「残されたエビチリ」の契約先は見当たらない。後半に繋がっているのだという一本線はたちまちあやふやになる。しかしながら声が通らないシローに代わって、タッキーが大声でシローのマリアージュを説明しては白組の二人で来場者に酒と食を提供。給食係のようであったが、体躯の大きな二人がこうして並んで振る舞っていると、そこに並べられた料理はどう転んでも美味そうに感じて然る。


白組にしても赤組にしてもコンビネーションは絶妙であった。



最終投票。金色のファラオが開票箱から票を回収し、それぞれを読み上げる、「白」、「赤」、「赤」、「白」、「白」、「赤」・・・。実に通らない声、響かない言葉、またそれが味があって良い。そして結果が出る。


◆赤組 21票 (前半 28票)

◇白組 20票 (前半 14票)


素晴らしき名勝負、まさに雌雄を決するに相応しい戦いであった。この結果からわかることが二つある、ひとつは赤組が勝ったということだ。そしてもうひとつは、誰か一人前半と後半のあいだに帰ったということだ。


アラタメ堂の紹介により赤組の二人は勝ち名乗りをあげる。「悔しい、悔しい」と言いながらエビチリをその出っ張った腹にかきこむのは前回覇者のタッキーである。


「ラインで1月11日に作戦会議をしてから、そこからタッキーさん一度も返答がなかったんですよ。僕がこれこれどうしますかね?とラインしても、まったく返答がなくて。だけどこちら側が連携取れていないと赤組陣営にバレるのが嫌だから、ずっと僕も平静を装ってました」とシローは苦笑しながら話す。


残念ながら楽しい会も終わる、人はずっと同じところではいられないものだ、それがいかに有益でお互いを認め合える場所だとしても。しかし、また再戦の機会があることを期待してワイン会を終えることとする。


最後にワイン会をサポートしてくださった人たちと、沢山の来場者と、ワインと食べ物に「ありがとう」と感謝を述べたい。


次回もよろしくお願いいたします。







このようにしてワイン会は無事に閉幕することとなりました。普段このリンクスという場所は日曜日は閉まっております、しかしながらこのように特別な日においてリンクスさまは開かれた場所となります。


私、リンクスさまの会員が増えればいいと思いますけれど、だからといって私などにリンクスさまを満員にするという、そのような力は御座いません。しかしながら、この場所を皆さまの記憶に残る場所にはしたいので御座います。形あるものはいつかは滅びるの如く、万物は流れ去ることが世の常でありますが、そんなとき「ここではこんなことがあったね、あそこであんなことがあったね」と思い出し笑顔とともに誰かの記憶に残ることができれば、それは、とても価値あることなのではないでしょうか。


人と人の繋がりは、その底になにがあるのかが重要で御座います。今回のように酒飲みが縁の宴などは腹の底も表もなければ、なにもありません。前向きも後ろ向きも御座いませんし、メリットもデメリットも何もありはしません。だってね、愛すべき馬鹿ばかりなんでありますから。


それでは、またお会いできることを楽しみにしております。最後、若干駆け足気味となりましたけれど、どんどん記憶が薄くなってきておりますのと、もう私も酩酊しておりましたから、あまりご提供できるお話しもないのです。





キリストは奇跡により水をワインに変えた。

フランス人はそれを見て

「このようにさっさと作られたものはワインと呼べない」と言った。





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by amori-siberiana | 2019-02-04 01:59 | 雑記 | Comments(0)

1284年の6月26日の朝


ハーメルンの町に笛吹きの男が戻ってきた。住民が教会にいるあいだ、男が笛を鳴らしながら通りを歩いていくと、家から子供たちが出てきて男のあとをついていった。


130人の少年少女たちは笛吹き男の後に続いて町の外に出てゆき、市外の山腹にあるほら穴の中に入っていった。そして穴は内側から岩でふさがれ、男も子供たちも、二度と戻ってこなかった。


足が不自由なため他の子供たちよりも遅れた1人の子供だけは無事であった。異説では、あるいは目が見えない子と耳が不自由な子の2人の子供だけが残されたとも言い伝えられる。





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あっという間に一月も終わりとなりました。私などはとくにこれといった活動もしておりませんから、二月になったから、三月になったからといって取り立てて何かをするということも御座いません。そのような私でも寒風吹きすさぶ都会の曇天が続くような日がありますと、心模様も浮かないものとなりまして、あちらこちらへお呼ばれしてもどうにも足が重くなってしまいます。


そしてこれよりワイン会にて全体の第三番手でプレゼンテーションをしようとする、あの口のお悪いヒゲの方もワイン会が来る日を心苦しく考えておりました。「あれ?待ち遠しくではないの」と皆さまにおかれましては、そのように思われるかも知れませんが、このヒゲの総帥なる人は全く逆で、ワイン会などなくなればいいのにくらいに悩んでおりました。


どうしてなんでしょうね、それでは第四話のはじまりです。









他はこれ我にあらず


大意:私たちは、ひとりひとり他人にゆずることのできない、かけがえのない人間であると同時に、そのひとりひとりの仕事や分担も、他人にまかせてはならないものである。すべて修行と心得て、過ごしていきたいものである。他人にまかせては、自分の修行にならない。


-道元『典座教訓』より-







ヒゲの総帥は悩んでいた。ワイン会が刻一刻と迫ってきているのだが、皆を満足させるような高級ワインを買ってしまえば、ジンクスでのワイン会では健闘できるであろうが生活費が無くなってしまうことを苦慮していたのだ。しかしながら、この男は他人から期待されることをいつも欲している、そして期待されるままに応えようとする悪癖がある。


ここ最近、ずっとワインのことばかりを考えている。マリアージュのことばかりを考えている。頭のなかの電卓を叩きながら、「うーん・・・」と呟いてはまた振り出しに戻り、また「うーん・・・」と呟いては振り出しに戻りという具合に考えがまとまらない。かの大作曲家リヒャルト・シュトラウスは「メロディーが浮かばないときはどうしますか?」と記者に聞かれて、「寝る」と名答を出していたが、寝れば寝るほどワイン会の期日は迫ってくるので、今のヒゲの総帥には大先生の言葉も通じない。


前回のジンクスで開催されたワイン会にてヒゲの総帥は投票の結果、最下位であった。それについて本人は当然の結果だと納得している。何の創意工夫もなく自分の財布と相談して店員任せのワインを買い、そしてマリアージュにいたっては友人たちが当日に持ち込んだ差し入れをそのまま使った。会自体は成功したのだが、何らの達成感もヒゲの総帥にはなかった。というよりも身にならなかった。


また、同じことの繰り返しになるのだろうか・・・と鬱屈とした気持ちはなかなか晴れない。


収入が低いということはこんなに惨めなことなのかと、なんだか情けない気持ちになる。つまるところこの愚か者はまだ、自分の現実を正視することができていないのだ。過ぎ去った日のことばかりに思いを馳せても何ら過去からやって来ないことを頭では知っていても、身で知っていないのだ。この男の精神は40才を超えたというのに未だ自立できていない部分が大いにある。自ら選んでこの道を選んだのであるからして、誰を責めることもできないのであるが、それがまた行き場のない空虚な気持ちを助長する。


自分の生き方が、いよいよ間違っていたと社会から審判されるときが来たのではないか。両手を後ろに縄で縛られ、大衆から罵声と投石を受け、顔を被った刑吏に引き連れられて台にのぼり、ギロチンへ首を差し出すこと以外に術がないという、断罪の列に加わっているような面目ない気持ちであった。誰も彼もが平然とできることが、自分にはどうしてできないのだろうかと考えると、自然と気持ちは塞ぎ込むようになるものだ。


小さい頃、ヒゲの総帥は他人の家に生まれたかった。どうして自分はこの家庭の長男として生まれたのだろうかと、自身の運命を呪うこともあった。隣の芝生は青く見えるという言葉を知らない時分であったし、知っていたとしても青く見えることに変わりはなかろうと認識するだけであったであろう。


ワイン会に参加するソムリエ各人とメッセンジャーで平然を装ってやりとりするも、心中は常に穏やかならぬ状態であった。八方塞がりである。


そんな折も折、次のようなメッセージが飛び込んでくる。発信者は前回のワイン覇者である豚王タッキーからだ。





2019年01月11日 21:49


財力バランスからみて、僕とマンホーさんが別れた方が良さそうですね





このメッセージを読んで、ヒゲの総帥は動けなかった。怒りや情けなさで動けなかったのではなく、「ハッ」とあることに気が付いたのだ。自分が何に気が付いたのか。自分の内面をしっかりと把握するため無駄な動きを止めて、じっと今、このメッセージによって何の光明が心に差したのかを見つめ続ける。


このタッキーからのメッセージがヒゲの総帥にとって一つの余計な選択肢を消してくれたことは確かだった。「金をできるだけ節約しながら、戦う方法があるな・・・。金の代わりに、知恵と工夫を活用すれば・・・、やれるかも知れない」とヒゲの総帥は自身に光明が差した答えに辿り着いた。端的な引き算だ。


道が決まれば、早いものである。道さえ決まれば、あとはそこへ向かうだけである。


タッキー、シロー、マンホーは優れたワインを持ち込んでくるであろう。自分は敢えてここでワインという選択肢から外れて、賭けに出ようと結論がついた。ワイン会とは良いワインと秀逸なマリアージュを競い合う会という基本コンセプトだが、何故それをジンクスでするのか。ジンクスでせずとも他の場所ですれば良い、でも、何故ジンクスですることにしたのか。


ひとつの真理に辿り着く。


それはヒゲの総帥がジンクスのことが好きだからである。なぜ好きなのか、それはここに集う人間たちのどこにも属さないとか、属せないという妙に綺麗に見える下手くそな生き方が好きだからだ。そこに人間性を感じている。1分を60秒と誰が決めたのだ俺らは知らんとアンチテーゼをぶちかますような生き方、自身を納得させるために模索・探検する奴らが好きだからだ。迷え、迷え、我々はそもそもどこからやって来て、何者で、どこへ行こうとするのかすら知らないではないか。


人生、勝った負けたではない。どう生きたか、どう生きるかだ。他人が決めるのではなく、自分が決めるのだ。学がない人間は愛想を磨き、愛想がない人間は誠実さを磨き、誠実さがない人間は嘘を磨き、嘘がつけない人間は他人の持つ技術の真似を磨く。財や地位のないものに残された唯一の武器は「アイデア」で、そして盾になるのは「勤勉」である。


それだ!


霧が晴れた。これらの書きつくせないことが、ほんの数秒のあいだにヒゲの総帥の心を巡った。タッキーからの珠玉の一言は彼の思惑を外れて、弾丸のようにヒゲの総帥の胸を貫いたのであった。その弾丸には「希望」という名の火薬が詰め込まれていたことを発砲した側は知らない。


そもそも、自分が大阪へ出てきたとき、家も金も無かったではないか。自分自身を試すのだと出てきたのではなかったか。いつしか慢心していた、人並みであることを追い求めるようになり、そしてそれでは飽き足らず人を追い越すことに執心する、つまらない男になっていたのではないか。


ようし、やってやろうじゃないか。20年以上前の自分と同じ、僕は自分自身を試すのだ。自分自身に賭けてみるのだ。ジンクスの流儀でな。持たざる者としてゲリラになる資格があるのだ。


そう考えたとき、あるスペインの話しを思い出した。スペインではその恵まれた気候もあり、柑橘類が街のそこいら中で実をつけるのだが、誰も食べないままに果実は地面に落ちて腐る。せっかく実をつけた果物、腐らせるままは勿体ないので、なんとかそれを有効に利用できないものかと編み出されたのが、果物をワインに漬け込んだ「サングリア」だと耳にしたことがある。


ヒゲの総帥は「ふふふ」と笑いが込み上げてくる、なんとも今の自分に当てはまる出し物ではないか。むいたオレンジの皮すら捨てるのは勿体ないので、これをマリアージュに使えば一石二鳥である。タッキーの言葉によって差し込んできた一本の光の筋が、いよいよ心を駆け巡り、集約して像を結んだ。


サングリアとオランジェット(オレンジの皮のチョコレートがけ)で勝負する。


そうと決まった日からは、役所の仕事が終わると常にサングリアの作り方の研究に没頭する。休みの日は図書館へ行き、レシピ本を読み漁るという日々が続いた。本番前に散財はできないので地域で一番安いスーパーへ行き果物を買って食べては見るものの、その半分が腐りかけだったということも経験した。ワインも徹底的に安いものを買い、金が無くなればギターの演奏会をして小銭を稼いで、またサングリアとオランジェットの研究に投資するという日々が半月ほどあった。創意工夫をしていくことが、こんなに楽しいことなのかと改めて実感した日々であった。夢中と没頭という自分の時間、そして仕事という社会生活の時間がひとつの歯車のようにぐるぐる回るのだが、自然と軋みは生じなかった。


サングリアの瓶を南船場のパン屋「き多や」から借りてくる。瓶がひとつでは足りないだろうとダイソーで300円で新たに瓶を買ってくる。そして迎えた本番前日、本番用の新鮮なオレンジを4等分にしてそれぞれ皮をむく。丸裸にされたオレンジを瓶のなかへ2個分ずつ放り投げる。レモンを1個、ライムを半個、パイナップルを4分の1、リンゴは皮のままダイスに切って半個分。そこへ一本450円(750ml)のワインを赤白それぞれ別の瓶へ全て流し込む。さらにオレンジジュースを200mlとグラニュー糖を大さじ2~3杯ほど溶かし込んで入れる、クローヴの実を入れるのが一般的だが予算の都合でカットした。


サングリアは調べれば調べるほど、各家庭の味噌汁の如くにレシピが続々と出てくる。その全てを試飲したところで、これが一番というのが見つかるはずもないことは理解できる。こういうとき、どのレシピを参考として選択するのか、センスが問われる、それは賭けになる。


オランジェットに至っては相当、嫌になりながら作った。買えばすぐ食べられるものが自分で作ろうとするとここまで時間がかかり、ほとほと面倒なのかと、それはそれは良い勉強になったのだ。しかしながらよく考えてみれば、自分たちが口にするものは、その人がよっぽどの仙人でない限りは、誰かが生き物を殺して、誰かが収穫してくれており、運んでくれ、必ず誰かが作ってくれているのだ。


そうか、そのお礼として、お金というものを使うのか。お金というものは、そうやって使うのものだったか。ヒゲの総帥はチョコレートを湯煎したボウルに入れて、ヘラで混ぜ溶かしながら、初歩の初歩を実感した。経済学というような大層な代物ではなく、生きるということについて実感したのだ。


オレンジの皮を短冊に切る。短冊になった皮と水を鍋に入れて沸騰させたまま15分待つ。ザルにオレンジの皮をあげて、また同じように水と一緒に鍋に入れた状態で沸騰させる。これを3回ほど繰り返して煮沸消毒をする。自分の娘が赤ん坊だったとき、そういえば哺乳瓶などをこうして夜中に寝ぼけながら煮沸消毒してたなと思い出す。


煮込むことで色がより鮮明になったオレンジの皮。その皮の重さ×0.8をした分量のグラニュー糖とカップ一杯の水を鍋に入れて、これまたグツグツと煮る。水気がよい頃合いでなくなってきたところで火を止めて、鍋から一本一本オレンジの皮を箸でつまみながら取り出し、キッチンペーパーを敷いた鉄板の上に並べる。気の遠くなるような作業であるが、これをやりきらないことには精神的に明けも暮れもないのだ。今の自分はオレンジをただ並べる男なのだ。


こうなってくると、ワイン会に勝とうが負けようがなどということは、正直どうでもよくなり、自身が行為したことによって導かれる結末(解)と出会いたくて仕方がなくなる。


チョコレートは板チョコが安売りしている日にスーパーで買いこんでおいた、「ブラック」を買ったのだが、この年齢になるまでブラックチョコレートはブラックコーヒーと同じで砂糖が一切入っていないものだと勘違いしていた。チョコレートの自然の甘みかな?と漠然と考えていたが、カカオ自体に甘みなどないことを初めて知った。つまり、ブラックチョコレートには砂糖が入っているという既成事実に初めて出会い、衝撃を受けたのである。


さて、適温の湯を張った大きいボウル(A)の中へ、それより一回り小さいボウル(B)を入れ、Bの中にチョコレートを砕いて入れて、ヘラで丹念に溶かし込んでいく。映画「ショコラ」でジョニー・デップがギターで奏でるマイナー・スウィングも格好良いが、何より主演のジュリエット・ビノシュがチョコレートを混ぜる描写に見とれていた。いつかはやってみたいと思って先延ばしにしていたことが、案外、その気になれば下手くそなりに出来ていることが妙に可笑しかった。


よく干されたオレンジの皮に溶けたチョコレートをコーティングしていく。これがまた時間がかかる、ほとほと嫌になる。手がだるい、眠たい。


そうして出来上がったオランジェットを味見にひとつだけ摘まむ。良い出来だ。ふたつ目は摘まめない、サングリアも赤白をグラス5分の1だけ飲んでみる。それ以上は飲まない。


どちらも可愛くて仕方がないのだ。何度も出来上がった両者を東西南北、全ての方向から眺めてみるが全然飽きない。まったく飽きない、それはヒゲの総帥の実家にある古ぼけたアルバムを見ているような感覚である。


減っていくことに臆病になってしまうから試飲も試食もひと摘まみだが、どうせ翌日にはワイン会を控えているので、何がどう転んでも彼らは無くなってしまう。可愛くて手離したくなくても、そのまま自分が瓶とボウルを抱きかかえていては腐ってしまうだけだ。時間と酸素は、サングリアとオランジェット、これらが生まれた瞬間から容赦なく「死」を手向けてくる。


それならばどうかジンクスにてみんなに飲み干されて、食べ尽くされて欲しいものである。


瓶の中のオレンジは、愛らしく笑っていた。


「さようなら」と笑っていた。










このようにしまして口のお悪いヒゲの男が持ち込んできた、サングリアとオランジェット。来場者の各位の口へと運ばれまして、それはそれは好評をいただいたようで御座います。相方の征司さまが皆さまのコップへサングリアを注ぎまして、そして皆さまオレンジのお菓子を摘まみながら談笑する光景を、ヒゲの男さまはくすぐったくなるような誇らしい気持ちで見ておられました。


空になったサングリアの瓶、中のフルーツも何者かが食べておいででしたが、作ったものからするとこんなに嬉しいことはなかろうにと私などが感じたことを記憶しております。リンクスさまでの宴のすぐあと、そのサングリアの入っておられた瓶を丹念に、冷たい水でゴシゴシ洗っておられたのは敵方の拓也さまで御座いましたね。私、あの拓也さまの背中を見たとき、このワイン会が成功を超えて、正解だったことを確信いたしました。


帰り際にはビッグテーブルに置かれたコップなどを来場者の皆が片付けしておられました。その光景を見ていた征司さまの横顔はこれまでに見たことがないほど、優しい目をしておられ、嬉々としておられました。


これにて赤組の後半のプレゼンテーションが終わることとなり、残るは白組の史郎さまを残すのみとなられました。しかし、もうこんな時間ですから第五話をお待ちくださいませね。






異議あり!




はい、タッキーさん




アモシ (阿守のこと)!




なんだい・・・




アモシ!・・・これ、美味しい!」




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by amori-siberiana | 2019-02-01 02:13 | 雑記 | Comments(0)


北浜というビジネス街を独立させようと企む、ヒゲの総帥のブログです。
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